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志賀町のいま

  • 2 日前
  • 読了時間: 10分

更新日:22 時間前

お声かけいただいて、志賀町のいま、や私たちの活動について、お話しする機会がありました。


その際にお話したことを、ここにも記しておこうと思います。(長い)



志賀町の、いま


町が公表している情報によると、志賀町の解体件数、42,178。

ちなみに志賀町の人口は17,000人。

人口の2.5倍以上が解体となりました。

人口減少率は3.8%。


旧志賀町と旧富来町では今回の地震でも被災状況がまっぷたつに分かれていて、(もちろん旧志賀町でも被災しているおたくはたくさんありますが)、解体数や人口減少率もおおむね富来地域が中心だという印象をもっています。

(あくまで所感です)


以降は、富来地域を中心とした話になります。



家を解体した方たちの多くは、町外に出たか、仮設、あるいは介護施設にはいっている。

仮設に入っている後期高齢者の方中心に、災害公営住宅を待っているという感じ。

現在、水が出てない地域とかはないですが、修繕新築含めて、完全に完了したいうのは個人的な印象で、全体の3割くらい。


地頭町区の一部のマップ。


このマップは地頭町という、旧商店街、かつての中心市街地と言われる場所だったところです。

赤い部分が、建物解体後、今後、建て直しの予定がない場所。


もちろん全て正確に把握してるわけではなく、今後変わる可能性もあります。

もともと衰退していた商店街であり、空き家だったところもある。

ただ、地頭町区には地震前200世帯くらいあって、約70世帯出ていってしまったと聞いています。


正直、”荒野”のような状況が広がっています。


志賀町の場合、輪島珠洲とは少し状況が違っていて、地震後、建物は建っていて、複雑だが直せば残せるという家も多かったと思います。

ただ、みんな、はやり病みたいに「解体解体」だった。

町の方針も解体一色だったと感じています。

解体して建て直す予定だったが、予想以上に高値であきらめたということもあると思います。


いずれにせよ、自然災害の直接的な影響だけではなく、人間の意思というか集団の心理というか、そういう結果この状況になってしまっている。


今後も公的な建物も解体されていく予定が多く、「またなくなった」「あれもまた壊すの」みたいなことばかりがいつも話題になっています。

同時に、「解体したはいいかけど、今後のまちはどこに向かってるの?」「まちの未来像が見えない」というのも、本当によく聞く声。


しかし、だからいって声をあげるとか、「自分たちでまちのために何かやりましょう」ということもなりづらいのが現状。

その理由をあげると、高齢化とか個人・家族経営が多いとかしがらみとか・・・、本当にいろいろあるけれど、一つ、大きな理由として、消極的選択というのがあると思っています。


志賀町の場合は、地震後、ある程度(といっても数ヶ月ですが)早くに、インフラは完璧ではないが、戻った。

なんとか住めている。離れる理由もなかった、あるいは家業があるから、いる。

そういう、消極的選択の中で残っている方も多い。

ここが好きだから、立ち直って行こう、とかそういうのとは違って。


もしかしたら、何かを考える時間もないまま押し流されて、気づいたら今だった、ということかもしれません。


ともかく若手は自分たちの仕事で手一杯で仕方のない状況だし、高齢の方は「輪島とか珠洲に比べたら・・・」「住める場所があるだけありがたい」という感じで、自分で自分を納得させていってる感じ。

まちの中で前向きな新しいことが生まれる様子も感じられず、衰退していく現実を嘆きつつも、諦めて見つめている、というような雰囲気がずっとあって、重たい。



Futoの活動について


立ち上げ当初から5つのプロジェクトを立てて活動しています。

5つすべてについてお話する時間はないので、特に一つ、現状のこどもじまについてご紹介します。


・こどもじま

こどもたちが自分で企画し運営していく、こどもの島。もちろんそのバックを大人が支えていくということですが、今回の地震では、富来小学校が被災しており、今後、小中一貫の義務教育学校に方針をかえて、新たに学校が建つ予定です。(富来の中では唯一の学校になる)

この件で、町と、保護者や地域住民との思いに乖離があり、保護者の方から相談をうけて、30、40代を中心に「富来らしい教育に関するアンケート」を行いました。






いただいた回答の中から色々と発見や気づきがあり、それらを踏まえ、公的な教育とは別で、民間で自然塾や文化塾といった取り組みも進めたいな、と思って動いています。

今度、ご縁があって、台湾のオルタナティブスクールのへ見学に行く予定があります。



最近は、複合的に関わることが多くなっていますが、今中心的に動きだしているのが、以下のふたつです。





手仕事の産地づくり



地震後の文化財レスキューを通じ、富来の一部の地域が能登有数の竹細工の産地であったということがわかりました(正確には、歴博さんの調査によるものです)。

それ以外にも、織りだったり、藁編みとか、輪島塗の木地とか、いろいろ富来の手仕事があった、あるということがわかってきました。

だけど、竹細工の唯一の継承者だった方は、2025年に倒れられて施設に入られてしまった。かろうじて技術を知っているという方も、80代後半から90代で、正直、本当に細い糸でつながっている状況です。


そこでいま、友人たちと組んで、竹細工や富来の伝統技術を学び、復活させるということに取り組み始めています。同時に、それら手仕事のルーツや自然との関わり方、背景にある暮らし、あるいはアイヌとか他地域との関係も含めて調査し、今後はそれをいかして、富来を手仕事のまち、産地にできないかなと、さぐりはじめています。


手仕事のまち、産地というとなんだか飛躍して聞こえるけど、私がいいたいのは、生業としてなりたつということだけではなく、人々があたりまえに自然素材を使って必要なものをつくれた、そういう能登に戻すという意味合いが強いです。

本寸法の作家さんもいれば、体験と弟子入りの間みたいなことがあったり、自然から素材を譲り受け、ものをつくり、それを使って暮らしをするということ全体を含めた「技」を学べる学校があったり。

多層的なものづくりが行われている、本来の意味での産地を目指せればと思っています。


手仕事を通じて、富来の人のもつ精神性、自然との関わりを学びながら、改めて、能登の、富来のアイデンティティ、誇りを見つめ直したい、取り戻したい、という思いです。


これについては、EIKICHI PROJECTとも深く関わることであり、着物という要素がもちろん加わります。

また、一部、小笠原敏晶財団様の文化芸術助成を受けています。





文化館 三谷屋


三谷屋というのは、北前船の廻船問屋さんの名前です。三谷屋さんの蔵は明治期の歴史ある建物でしたが、今回の地震で解体することになりました。

しかし、家主の娘さんが思いのある方で、梁や柱といった一部の材を再活用した平屋の建物がたちます。


家主さんは「一部は蔵にあったものを収蔵したいがそれ以外は活用してください」と言ってくださっており、今回レスキューした文化財の展示ギャラリーだったり、もともと塾として活用されていた蔵ということも踏まえ、こどもたちや地域の大人たちが、郷土史や、芸術や文化をまなぶ私塾にしたいと考えています。


これは、まだあくまで私たちの考えの段階で、今後、提案していくことです。


また、もし人の集まれるような場所とする場合、設備的な部分で資金を探っていかねばならないところです。




長い目で、これからとりくみたいとおもっていること




私自身は、歩けるような中心市街地がなくなってしまえば、まちわおわり、と思っています。

地頭町と領家町の一部は荒野のようになってしまいましたが、そこに人が集まるような点を作って、それをつなげつつ、もう一度まちを作っていくことを、長期的にできればと考えています。


ただ、文化塾の話でもそうですが、現在、収益をともなわない場所や共有の場に関して、建物や土地の取得・修繕、あと設備などの資金をどうするか、方法が見つけられていないのが現状です。

なりわい補助金や企業創業系の支援は、基本一人が一つの店をやるということが前提にあり、収益をあげることが条件かなと思います。


ビジネスとは異なる発想に対しては、いま、一歩踏み出せていません。


・循環施設/シェア店舗

地震後にいろいろとお話を聞く中で、結婚を機に町外から富来にきた女性や、地震を機に思うところがあってUターンしたなど、今まで表立って無かったけど、思いのある3、40代の世代が、わりといるんだな、ということを感じています。

多くは女性ですが、彼女たちはどこかに勤めるために来てるわけじゃなく、むしろせっかくなら、自分のやってみたいことにチャレンジしてみたいんだよね・・・という声がけっこうあります。

ただ、子育てをしている方も多く、自分で店を構えるほどの自信はない。まして解体が進んで荒野の状況で、何かをはじめるのにはリスクが高い。

そういった人たちが「一歩踏みだせる」ような、月替わりか週替わり、昼夜とか交代で使える小屋でもいいし空き店舗でもいい、そういう場所を地頭町に作りたい。

志賀町には原発があり、住民として強く思うところもあります。だからこそエネルギーの地産地消もする。

人もエネルギーも循環していくような場があればと思っています。



・空き地公園

地震後、子どもの遊び場ないというのは能登全域の問題だと思いますが、前述のアンケートでは、自然と関わる学びを求める声がありました。せっかく自然があるのに、自然に触れることができてないという声も聞いています。

地頭町は空き地が増えたけど、ハザードマップなどの関係で公的な建物(公営住宅)などは建てれないし、新しく家を建てるという話もほぼない。

では、建物を建てれないなら、空き地を活用してまち全体を公園みたいにできないか、と思っています。

すぐ裏には里山もあるので、里山とまちとをつなぐ間の空間。


遊具はいらないし、最初は一軒の家くらいのスペースから、木を植えたり、どろんこひろばつくったり。

自分たちで企画して自分たちでつくっていく、自分たちのための民間公園。


ただ、土地の取得だったり管理体制など、いろいろと手をのばせておらず、民間でそういった経験がある方がいたら教えてほしいです。




人、つながり




最後に、人とつながりについて。

志賀町として、というのを私が語るものナンなので、二つ目のまるについて。


よく「地方には仕事がない」という話もありますが、町内にも求人はあり、「誰かいないかな」というような相談を受けることもあります。

ただ、私の印象としては、受け入れ側の意識改革というか、多様な働き方の提案など、受け入れ側への伴走支援みたいなものも必要だと感じています。

今の状態だと、ちょっと人を紹介できないとか、続かなさそうと思ってしまう感じ。


Futoとしていうか、今の地域としては理想なのは、企業の方などの研修の場とか実験的な場として、この地域に入ってもらうというかたちかなと思っています。

お話できてないこともあるが、介護、農業、いろいろ本当に幅ひろい範囲で民間でやれることがある。

例えば拠点をつくて、社員さん数人を月交代で駐在しながら、ご自身たちの仕事にとって何かものづくりや、人そだてとか、サービスなどにつながらないか、という感じで模索してもらう。

ビジネスとは少し違う観点で、ここを起点に何かがうまれていくような関係性を築ければ最高だなと感じています。



(ブレイクアウトルーム)

最後の一節についてご質問くださった方がいたので、ご説明しました。


能登出身のかた、こちらにゆかりがある方などで、長く故郷を離れていて、高齢(多くは70代後半から80代)になっているが、地震後、ずっと能登、故郷のことが気になっている、なにかしたいと心を寄せつづけてくださっている方たちがいると感じています。

そういうった方たちとどのようにつながっていくか、はげましあっていくか。ということを最近考えています。

ネットとかそういうのではなく、彼女たちとつながる、こちらから希望を届けるというようなこともこれから考えていきたいです。




こんな感じでお話しさせてもらいました。



正直、内容をまとめながらも、私は、とてつもない夢物語を語ってるのかしら?と、途方にくれてしまった節があります。

言ってはみても、どこまでできるかはまったくわからない。

でも、ひとつでも実現できればきっとまちが動いていく、そういうこともきっとある、とも思っています。



手仕事関連で、TOPの写真は、これまで葦で作ってた畑の柵を「今年は竹で作ってみることにした」、という富来の80代の女性に、編み方を教えてもらったときのものです。

voluntary association Futo

​石川県羽咋郡志賀町富来地頭町

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