文句じゃなくて相談して
「停滞期間」と友人が称しました。
町外の方、県外の方が「いまだ変わってないね」「復興が進んでないね」といってくださる言葉にも、
「進めばいいって、そういうことではないんだよなあ」とヒネクレタ精神が湧いてきちゃう期間でした。
心を寄せてくださっているのに、我ながらひどい考え方だ。
進んでるんだか、進んでないんだか、戻ってるんだか止まってるんだかよくわからない。
公費解体が徐々にはじまっています。
家屋解体の音は悲鳴のようでもあり辛いけど、解体業者さんは懸命に、そして丁寧に作業をしてくださっています。
家主さんは「心の準備ができない」とおっしゃっています。
仮設住宅への入居が進み、避難所の入所者も減っています。
仮設に入った方は「一安心」という言葉と共に、少し不安げだったりします。
それは「2年のリミットがスタートした」から。
仮設は仮設。その先を選ばなくてはいけない。
この考え方って、もしかしたら、都市部や若い世代が多い地域では理解されづらいのかなあ。
Futoのブログにもよく出てくる、
「家を壊すか残すか」
「町を出ていくか、ここに住み続けるか」
この迷いのわけ。
最初は、ほとんどの場合が「地震で不安だから」「怖いから」でした。
でも、地震発生から時間が経つにつれ、
「家を残していても、子どもたちに負担になる」
「どうせ誰も帰ってこないのに」
「人が減っているこのまちに、住み続けるのか」
という悩みにシフトしている気がします。
能登は超過疎高齢地。
今、能登のみなさんが向き合っているのは、被災地で起こってる問題ではあるものの、被災地にしかない問題ではありません。
日本社会のあらゆる場所で「いつか考えよう」と後回しにしてきたことが、急に浮き出てやってきた。
その生々しい問題と、突然向き合わなくちゃいけなくなってるのです。
これって誰のせいでもありません。
地震がなにもののせいでもないように。
みんなそれをわかっていても、4ヶ月心に鬱積したものを誰かぶつけたくなり
「町が」「役場が」と文句の広がる時期でもありました。
ネガティブな雰囲気は伝播します。
話を聞きながら、こちらに受け止める心の余裕がなくって、
「じゃあ町が何してくれれば前向きになれるんですか?」と腹が立ってしまったこともありました。
すごく反省しました。
争いは何も生まない。
そして人間関係は鏡です。
ある介護施設で働く方が言っていました。
「お年寄りだ、とか認知症だ、とか障害があるからって何もかもしてあげようとするると、人って何もできなくなるんやよねえ。だから私は一人の人として接してる。その人が知っていて、私が知らないこともたくさんあるんだから」と。
今は、「役場がなにもしてくれない」「こんなに困ってるんだけど」という話を聞くと、
「困ってるのであれば一度、役場に相談してみればどうかな?」というようにしています。
「文句を言うんじゃなくって、相談してみて。きっと一緒に考えてくれるから」と。
過疎地。
それは、一人一人の顔が見える町ってこと。
久しぶりに寝転んで空を見上げたら、すごく青かった。