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珠洲は、私の好きな珠洲のまま

能登のよさの一つは、自然との距離がちかいところ。


里山里海というくらいなので、海と山と里の距離が手頃で、思い立ってふと裏山にいったり海にいったりできます。


幸か不幸か人口は少ないので、どちらにしろ人がごったがえすということはなく。

かすかに人の気配(余韻)がする程度の自然の中に身をゆだねるのは、なかなか心地の良いものです。


特にその良さを感じるのが、夏。

ちょっとお風呂へ、といった感じで、ふらっと誰もいない海に入れるのは、ここに暮らす醍醐味だなあと毎年思います。


基本的には身近な富来の海(家から車で1分くらい)に入るのですが、去年から特に気に入っていたのがお隣、輪島市門前の琴ヶ浜。

鳴き砂で有名な白い砂浜に、透明度の高い美しい海。

気持ち塩分濃度も高くて、平日は人もあまりおらず、お気に入りの場所として通っていました。


この間、たまたま門前に行く用事があったので、「入れるなら入りたい!」と、琴ヶ浜に寄ってみました。

隆起してるかもなあ・・・とおそるおそるのぞくと、そこに広がるのは変わらず美しい風景。




少し岩場が盛り上がってそうだけど、これならいけそう、と車を回して反対側を見たら。





急に現実に引き戻された気がしました。






話は変わりますが、先日、地震後、初めて珠洲に行ってきました。


7ヶ月も経ってから、と言われてしまいそうですが・・・

これまで足を運べなかったのは、まず第一に、物見幽山で訪れて復旧、復興の妨げになるのではのは避けたかったというのが一つ。


さらに、私にとって珠洲は、能登半島の中でも特別大好きな場所で、いつも憧れの場所でもありました。

「珠洲は本当に大変」「ここは珠洲よりまし」という話をよく耳にするなか、珠洲の状況を受け止める自信がなかった。


そして何より、珠洲の被害状況を知ってしまったら、ここ(富来)で活動していること、Futoの活動自体に迷いが出てしまうのではないか、と不安があった。


そんなこんなで時間が経っていたのだけど、お隣の七尾市中島地域に拠点をおく被災NGO恊働センターでずっと活動している友人から声をかけてもらって、訪れることができました。


目的は、あみだ湯で活動を続ける新谷くんと、先日『地震日記 能登半島地震発災から五日間の記録』を出版した鹿野桃香ちゃんに会うこと。

そして自分たちの目で珠洲をみること。




珠洲から戻って来て、色々な人に「どうだった?」と聞かれました。

私は、そのたびに「・・・思ったより・・・」と答えていました。



「思ったより」

こう言うと、もう結構復旧が進んでて、普通の暮らししてると勘違いされちゃうかもしれないんだけど、珠洲ではいまだ、水道の復旧率は半分ほど。

たとえ水が出ても下水管がほぼダメなので、トイレが普通に使えるところなんて本当に一握りです。

(桃香ちゃんの「金沢から珠洲に戻って来ると、つい蛇口をひねってしまって、あ、水でないんだった!ってなるんですよね」という言葉を聞いて、2月頃の生活を思い出していました)


公費解体は始まっていますが、まだまだ倒壊した家屋が多々。

一つの集落がごっそりなくなるほどの倒壊レベルなので、解体が進んだ先への不安は尽きない。


土砂崩れはあちこちで多発しているし、片側通行も多いし、道もガタガタです。


人口は半分に減っているとの情報通り、平日はあまり生活している人の気配がない。

仮設住宅と作業員の方のためのプレハブがずらっと並ぶ光景は、誤解を恐れずに言うならば、異様。

すれ違う車は災害対応車両が多く、はっきり言って「全然大丈夫じゃない」




それでも私が「思ったより・・・」と呟いたのは、一体なんでなんだろう。



一つわかっていることは、被災地にいつづけた私や、友人は、倒壊した家を見て何も感じなくなってしまっている、ということです。


正確には、「感じないようにしている」。


「ただ崩れている家」という事実以上に想像を働かせることをやめていて、感情を動かすことを、心が避けてしまっているようです。




じゃあ、私は、心理的な逃避行動で「思ったより」な部分を必死に探して、事実を願望で歪めて見ていただけなのか?



富来の海に浮かびながら、2週間前に訪れた珠洲のことを思い出していました。




車を走らせる。崩れた道をよそに左右につづく緑豊かな里山。

限られてはいるけど稲をはぐくむ田んぼには若い稲穂。

細道を抜けると眼前に広がる絵画のような海岸線が広がって。

海を向く黒瓦の集落も、一部はしっかりと残っている。

「たしかここらへんに」と探していた船小屋も偶然見つかって、古びては数は減っていたけど、営みを続けていました。


2016年に訪れた 船小屋



2024年7月 こないだ見た船小屋



そして一番私の心をかきたてたのは、やっぱり、限られた人数のなか、ものすごい荷重を背負いながらも、ある種の覚悟を持って活動している人々の姿でした。

葛藤や迷いもふくめ、多くを語らなくても一瞬で通じ合うあの心地よさは、今思い出しても泣きそうだし、すごく心強かった。

ちょうど営業日だったいかなててのカレーもおいしかったな・・・




ああ、やっぱり、珠洲は、私の好きな珠洲のままだったな。



知人が「珠洲はもうダメでしょう」というので、「ダメなんかじゃない!私は珠洲に行って、珠洲はダメじゃないって感じれた」と熱弁したその心は、ここにあるようです。





私たちは、琴ヶ浜のように、紙一重の世界でずっとずっと生活を続けています。


悲惨な状況は目を背けたくても目に入って来ていて、それが日常になっています。

知らない間に視覚からネガティブな刺激を受けていて、それが深くストレスや心の傷になっているかもしれない。


それでも。片や目をむければ、ため息がでるほど美しく大好きな能登の光景、疲れていても笑うことを忘れない人の姿があるから、なんとかやっていけてるみたいです。

voluntary association Futo

​石川県羽咋郡志賀町富来地頭町

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