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残したい、でも


昨年の2月のFuto立ち上げ当初から関わらせてもらっていた、北前船廻船問屋さんの蔵。




公費解体が迫るなか、県の文化財関連補助制度での修繕の可能性を検討していましたが、このまま解体を進めることに決まりました。


解体後は、救える一部の材をいかして小屋を建てる予定です。



最初にこの蔵に入ったのは、2024年2月24日。

「古い民具など捨てないで」と自作のチラシを配っていた流れで知人から声かけがあり、文化財レスキューに伺いました。


とにもかくにも、Futoとこの蔵の蜜月な関係は、2階へ足を踏み入れたあの瞬間からはじまったと言えるでしょう。


「梁、太っ!!!!!」





あまり蔵が身近ではなかった私ですが、それでも古い建物とか好きで各地を訪れて梁を見上げた経験はあります。

が、こんな太い梁なかなか見たことない・・・(写真では伝わらないんですが)


「なんだこれは・・・いや、これは・・・」と感動してぶつぶつ言っていたら、気づけば持ち主の娘さん(千葉在住)と意気投合していました。



当時の活動レポートを振り返ってみます。


2月24日

・チラシを配っていた流れから、領家(地名)の蔵の古材レスキュー。

・町の文化財課の方に連絡して同席してもらったが、この廻船問屋さんは富来町史にも出てくる有名な廻船問屋さん。資料はすべて紛失してしまったものだと信じ込んでいたと、みなさん興奮してた。

・家主さんいわく、できれば蔵の建材を保存する形で壊したいとのこと。残していかせるのが理想。

・以前、母屋にも立派な梁や帯戸があったが、解体によって木っ端微塵になったことがショックだった、と語ってくださいました。

・蔵の材を残す可能性の話をしたところ、「本当によかった。1月1日からの心のつかえがとれました」とメッセージいただく。



2月当初、建物自体を残せる術はないと思っていたので、せめて建材だけは・・・と手壊し解体を模索したり、公費解体の方向も決まっていなかったので、情報を探りに色々と走り回っていました。


そんななかで、瓦屋さん、解体屋さん、そして建築士の橋本さん・・・今もすごくお世話になり続けている皆さんとの大切なつながりができました。

いつも支援に来てくれてるボランティアの大谷さんと一緒に荷物運びしたのも、ここが最初かも。

町の文化財関連の皆さんとも、この蔵をきっかけにより連携するようになりました。



以降、手壊し解体業者さんに見てもらっては金額聞いて諦めたり、やっぱり修繕して活用しよう案が浮き上がっては費用を見て諦めたり、蔵でクラフトビールしたいね、とか考えて、やっぱり金額との兼ね合いで頭を抱えたり・・・(ほぼ金額問題)



この蔵はずっと、Futoにとって、町の再生における中心的な存在として頭の中にありました。

誰か来るたびにここに連れて行くみたいな、お気に入りの場所にもなってたな。



持ち主さんの娘さんはそもそも建物や建材に強い思いを持たれているうえ、金銭的なことでも最大限努力をしてくださる気概。活用についても、「建物は使ってもらってなんぼですから、修繕後も家賃はいりませんからぜひ使ってください」くらいに言ってくれてました。


だけど、蔵の修繕費用は安く見積もって1500万(現状の適正価格の最低ラインだと思います)。

さすがにそんなの全額自費で出せないよね。


そんなこんなで検討を重ね、最終的には昨年12月、公費解体で残せる部材を残して小屋を建てる、という方向でまとまっていました。



活動レポート

11月25日

・橋本さんと、蔵の現地調査と相談。蔵を蔵のまま残したいけど金額的にはやはり難しいとなると、公費解体で梁と柱やそのほか可能な範囲での部材を残してもらい、その後、骨組みだけのあずまや的なものを建てて、ボランティアで壁などを作っていく、なんていう形があるのでは?と。ナイスアイデアすぎます!

・北前船関連の建物が今回ことごとくなくなってしまいそうだけど、できるだけ残すことが、未来の価値につながると信じて、がんばります。


12月26日

・蔵の持ち主の娘さんと会ってお話。蔵は公費解体→梁や柱を残してもらう→残した建材を生かしたものを建てる、という方向で合意。

・公費解体業者さんにも連絡して、再度何の部材を残すか固まった段階で立ち会いすることに。




そして、年があけ、解体業者さんとの改めての立ち会いも終え、隣のおうちの公費解体も進み、次はいよいよだな・・・という1月21日のこと。



別件で訪れていた知人からのお知らせで、突然、この制度を知りました。


「石川県文化財等災害復旧事業」


10月に策定されていたものですが・・・全然知らなかった。


いや、正確には、この事業を見かけたことはあったかもしれませんが、「等」を見落としていました。

文化財認定された建物以外は関係ない制度だと思ってたし、まさか未指定でも対象になる可能性があるということは、知らなかった。



「ちょっと、聞いてないよ!!」


サザンのライブが金沢で開催されることを前日に知った時と同じくらいの、驚きでした。




そこからは、関係各者に連絡、相談。

橋本さんが「最近話題になっている」と教えてくださり、いろいろと調べてくださり、この蔵も対象になり得ると判断。

町の生涯学習課の方ももちろん、我らのヒーロー橋本さんも、「やるだけやってみましょう」と超ご多忙なところ、本当に前向きに懸命に協力してくださいました。


ここまできたら絶対残したい!なんて、こちらは勝手に盛り上がっていきました。




DEMO・NE。


公費解体の三者立ち会いも終わっていたなかで、持ち主さんとしては急にふってわいた話。

たとえ申請できても、いつ結果がでるかわからない。

公費解体の申し込み締切は、今のところ3月31日で、伸びそうだけど確定ではない。

申請が通らなくて、さらに公費解体申し込み締切も過ぎてしまったら、解体費用を自分で負担しなくてはいけないリスクがある。

さらに、たとえ申請が通っても、修繕費用は小屋を作るより高くなる(半額補助か3分の2補助でも話が違ってくる)。

さらにさらに、蔵を残したあと実際に誰がどう維持管理、活用するか。指定文化財になったら?未指定文化財となったら?どういう縛りがあるの?ご家族を説得できるほど、急に話をまとめる時間はない。



気づけばお隣の解体は進み、明日にも解体が迫っている・・・



持ち主さんの娘さん(千葉在住)に連絡し、現状とあらゆる可能性をお話し相談した結果、やはり、当初の予定通り解体して、建材を使った小屋を建てる方向に決まりました。



photo: Yuki Morishima
photo: Yuki Morishima


これまで、空き家とか空き店舗に対して、解体しないで〜と声かけてきましたが、

今回の件も含めて言えるのは、「もしかして」「かもしれないよ」「可能性がある」では、持ち主さんのご家族全員の決心を得るのは難しいということ。

当然ですよね。


修繕に加え、維持管理(あるいは解体)という責任がついてまわるなか、

残したい、でも・・・・・・


部外者には、限界があります。



この蔵へ勝手に思い入れがあったぶん、残念だし寂しいけど、今は、次にどんな建物できるかな、と楽しみに切り替えて。




ところで、珠洲市は、市が空き家を借りて修繕し希望者に貸し出す「サブリース」を復興計画に組み込んだそうです。


志賀町もぜひにと思うけど、策定済みの復興計画に「空き家バンク強化」的な言葉さえ見当たらず、新たに住宅整備する方針のよう。

昨年5月、若手の思いとして提出した復興プラン案で、空き店舗活用も提案したんだけど「TMOが行うべき(需要調査が必要)」という回答とともにボツになりました。

いずれにせよ、今後改めて検討してもらって予算づけできたとしても、その時にはすでにどれくらい解体されてるのかわからないから、やっぱり富来の場合は民間の力を探るしかないのかな。



最近は「解体してしまったことを後悔している」という声もよくききます。

彼らに対して、私たちは一体、何ができるんだろう・・・



今はともかく、一旦保留にしておけるような「余地」がほしい。


ものおき小屋のような、あるいは蔵のような。


「使うかちょっとわかんないけど、一年だけ、置いとくわ〜」って置いておけるような心の余地が。




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voluntary association Futo

​石川県羽咋郡志賀町富来地頭町

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