ミャンマー地震
- tsurusawayuko
- 4月8日
- 読了時間: 2分
このたび、みなさまからのFutoへの支援金の一部を、3月28日に地震が発生したミャンマーで活動なさっているAAR Japanさんに、寄付いたしました。
世界中で災害が発生する当世において、発災後どういう行動をとるかは、その時々・メンバー個々で判断するつもりでいますが、今回は、地震が他人事ではないという感情に加え、私の個人的なミャンマーへの思い、さらに能登へ支援くださったAARさんへの恩返しというメンバーからの提案もあわせ、心を寄せる表現の一つとして寄付金のバトンを行いました。
事後報告となったことをご了承ください。

個人的な話になりますが、2014年にミャンマーを一人で旅したことがあります。
忘れられない大切な出会いが、マンダレーのバガンに行った時にありました。
バガンは文化遺産が多くあるミャンマー有数の観光地。それまで人の多い場所を避けて旅してきた私にとっては、なかなか過ごしづらい場所でした。
しかも、時は灼熱の4月。
砂埃舞う40度近い高温のなか、レンタサイクルは砂漠のどまんなかでパンクするし、どこもかしこも観光客向けの店ばかりで落ち着かないし、やたら高いポストカードをしつこく押し付ける売り子さんにも、体の不自由な子どもを横に座らせ大袈裟に物乞いをする大人の姿にも、苛立っていました。
多くの旅において一つの町を去るのは名残惜しいものですが、バガンを発つ朝は、今すぐそこを離れたい一心。
午後の電車とわかっていながらも、早々に宿を出て、町外れの駅へと向かいました。
そして、電車を待つまでの数時間に起こった二つの出会いが
私にとって全く記憶に残らないはずの町を、一生忘れられない場所に変えました。
彼女たちは、今、どうしている?
思いを馳せようとするとあの熱風が蘇り、ぐっと胸がしめつけられます。
自分はここにいていいのか?
と、やるせない気持ちにもなります。
でも、
今の私にできることは、彼女たちがきっと大切な人たちと一緒にいると信じること。
一人でも多くの命が助かると強く信じること。
そして、ここ能登で、自分の人生をまっとうすること。
そう思っています。


Futoの活動はというと、今のところ、言うなれば種まき中。
水面下で動いていることが多くてなかなかブログにはっきりと書けないのですが、富来、能登の未来に希望をもちながら、日々、活動を続けています。