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「地震を機に」「復興のために」

1年半経とうとしている今、何をしていいのか、わからない。


というと、もう困ってることはないのかな。

ある程度復旧できたし、よかったのかな。

と思われるかもしれないけど、


もちろんあいかわらず、いろいろとある。



1年半経ち、変化したことといえば、「良くも悪くも、慣れてきた」ということ。


傾いた家の暮らしにも、でこぼこの道を避けて運転することにも、広がる空き地を見ることも、解体されていく建物や廃棄されるものたちを見届けることにも。



あいかわらず、いろいろとある。

やろうとしていることも、たくさんある。


それでも何から手をつけていいのかわからなくなる、その理由は、すべての動きをはじめる前に、「この活動は地震とどう関係があるんだっけ?」と、考えなくてはいけない気がしてしまうから。


直接的であれ間接的であれ、結局すべてのことは、地震という出来事を経てつながってきているんだけど、なぜか、「地震を機に」とか「復興のために」と、わかりやすく紐づけて、理論立てて説明できなければいけないような感覚にとらわれてしまっています。


誰に言うでもない説明を、ぐるぐる考えて、その果てしなさに、勝手に疲れてしまう日々です。





あいかわらず、いろいろとあります。


諦め慣れのおかげで、復興=タスクみたいなプレッシャーは、わずかばかり軽減できるようになってきたかな。


それでも、動き出すことに躊躇するもう一つの理由は、ものの置き場がないとか、建物を直すお金問題とか、あちこち増える空き地で何か取り組みをするために我々が土地を買うのか?とか、そういう、基本的で、でも、すぐに決断できないことだったりします。


覚悟ができてない、と言ってしまえばそうだけど、「まちのために建物を複数所有するか」とか「被災した建物の修繕にいくら借金するか」とか「土地をいくつ背負うか」とか、なんなら「一生ここに暮らして骨を埋めるのか」みたいな選択を一気に強いられる状況というのは、なかなかきついものがあります。


これは被災者の皆さんに言えることだと思うけど、突然の外的状況に押され、自分の想定とは異なる人生の歩みを急遽決めなくてはいけないことに、ずっと、戸惑っています。


かたや、「復興」は急かされていて、解体申込にも締め切りがあるし、災害ゴミの受け入れは間口が狭くなる。

これは自然現象だけど、傷んだ建物も、どんどん傷んでいく。




最近、町の方々の声として、行政への不満や、町議会議員若返りへの期待が多く聞かれるようになってきました。

行政組織に思うこともあるし、議員さんの若返りは必要だと常々感じている。みんなが行政とか政治に興味を持つことにももちろん大賛成。


一方で、民主主義社会の中で、行政や議員さんができて民間の私たちができないことって、一体どれくらいあるんだろう、とも考えていました。


議員さんって、町民の意見を代表として伝える役割なんだよね。



話があちこちいきますが、心理学者の河合隼雄さんが、アメリカの方に「もったいない」という言葉の本意を伝えるのはとても難しい、とおっしゃっていたのを読んだことがあります。


それは日本の宗教性に関する話だったけど、Futoの活動をするなかで、言葉で伝える、言葉からその心を読み取る難しさは、日々、強く感じています。



たとえば、ある町民の方が「早く復興をしてほしい」と言ったとします。


その言葉にはさまざまな背景があって、単純に「早く道も家も綺麗にして、何もなかったみたいにして、地震なんて忘れたい」ってこととは全く違うわけです。


人の言葉と、背後にある心っていうのは、そう簡単なもんじゃない。


「状況はどうですか?」と尋たら「なんとか、家にも住めてるし、家族も元気です」と答える方がいるとします。

だからって、「それはそれは、一旦落ち着いたんですね。よかったですね」というのは、全然違うわけです。


よくよく聞いてみると、「家は傾いてるし次に地震が来たら潰れるという覚悟で、窓と扉が閉まるだけの最低限の修繕だけして住んでいる。仮設は狭いし住みたくないし、かといって全部の修繕費用は賄えない。私なんかまし、全壊でも住んでる人もいるから」という自分への言い聞かせだったりする。

あるいは、「家族は元気だけど、子どもと孫はもう町外に住んでいる。だって、これからどんどん人もいなくなるし、小学校だっていつまであるかわからない。こんなところにいても仕方ないでしょう」という話がでてきたりもする。


それを「じゃあ町営住宅を建てますから引っ越しましょう」とか「旧志賀町の学校に通えるバス出しますから」ということでもなくて、その人が住みたいと思う家、富来、能登、あるいは子どもにも「あんたら住みまっし、いいとこやよ」って言える場所を、どう一緒につくっていくか、という話をしなくてはいけない。


我慢、諦め、慣れ。

積極的選択じゃなくて、消極的選択。


こういう感覚が蔓延していくと、空気はどんどん重くなっていく。




さて。


1年半、あいかわらず、いろいろと、あります。


「とりあえず」という感覚が苦手で、とりあえずでやったことは、だいたい後から大きな手間をかけて直さなくてはいけなくなることが多い、と思っています。



焦る気持ちと、落ち着こう、という気持ちの狭間。


災害から1年半、もしかして今からが、もっとも辛い時期なのかも、と思ったりもしています。



(写真は、廃棄されるというので救い出して集めてきた、置き場に困っているけど、魅力的すぎるものたちの一部です)

voluntary association Futo

​石川県羽咋郡志賀町富来地頭町

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