海辺の家
- tsurusawayuko
- 10月14日
- 読了時間: 3分
また一軒、残したいなと働きかけていたお家の解体が始まりました。
海の目の前にあって、立派な木材を使った、能登らしい魅力のある家でした。


被災も含めて建物の状態が悪かった、空き家なので修繕の予算の目処がつかなかった、良い出会いとタイミングにつなげることができなかった、などなど。
解体に至った理由は相変わらずです。
これまで残そうと動いてきた家は、空き家だったり、家主さんが亡くなられていたり、管理されている方が近く住んでいないという状況が多く、建物や立地、景観の魅力に惹かれて「なんとか残そう」という思いを持って活動をしていくと、だんだんと、「私が」残したい家、「私が」残さないといけない、「私が」諦めればいいだけ、「私が」納得すれば解体でいい、というようにすり替わってしまってたなと反省しました。
当たり前だけど、その家は深い歴史を刻んできたわけで、地震後に知った私たちなんかよりもずっとずっと、長くそこで時を過ごした人たちがいらっしゃいます。
今日から解体がはじまる、ということでお仕事の休みをとって現地に足を運んでこられた家主の娘さんは、雨の中、解体される家をじっと眺めていらっしゃいました。
もう一人のご親戚の方が「もうそろそろ行く?」と尋ねても、「うーん」とおっしゃったまま。
屋根の瓦がどんどん外されていく作業を眺めながら、ご親族の方が、別の親戚の方へ「解体はじまったよ」と写真を送ります。
と、すぐに返事。
「解体するって知ってこないだこっそり見にいったんだよね。昔から玄関の大黒柱がすごい好きだったから、最後に、柱の匂いを嗅いできちゃった」
そのお返事の内容に笑い合いながら、
「この家で集まるのが、本当に楽しかったんだよね」
明るい声でご親族の方が教えてくれたその言葉は、ずっと頭の中で響いています。
人の家のことを自分のものみたいにしてすり替えて、最後には残せない言い訳して。
仕方ないね、と諦めることへ逃げてた部分もきっとある。
「みんな思いは持ってる。でも言えないんだよ。言えないよね。残したくても自分ではどうしようもないってわかってるから」
友人が言ってくれた言葉。
そして、
「柱だけでも残せれば。私たちだけだったら、ただ解体を眺めてるだけだったから」
建物を残すことができなかったことを詫びた私に、家主の娘さんがかけてくれた言葉。
この海辺の家が解体される、その日に集ったみんなの言葉が、私を原点に引き戻してくれました。
ご親族の方が大好きだとおっしゃっていた桜の木の大黒柱は、友人が作っている「富来椀」として残せることになりました。
そして、解体後の土地は、これからみんなで活用する方法を探していこう、と話しています。
建物を残せる・残せない、だけじゃない。
大事なのは、できることを、少しずつ。