top of page

沈黙

  • 27 分前
  • 読了時間: 4分

今回の熊本地震の第一報を知りまず感じたことは、自分の心が乱れるのを防ごうとして殻をつくった、ということでした。


何かしなきゃ、何か書かなきゃ、と思いながら、自分の心と向き合う勇気ができず、ただ黙っていました。

熊本の皆さんに連絡するのさえ躊躇していました。


震度7の揺れを一度経験した私でも、映像を見るだけで足がすくみ、緊急地震速報の音を耳にするだけで鼓動が大きく乱れ打つような状態です。それが10年の間に二度、しかも以前より大きな揺れを体験した熊本の皆さんがどういうお気持ちなのか。想像するだけでも息がつまるし、その悲しみや苦しみを的確に表現できるような術を、私は持っていません。


能登地震後以降、私たちは、本当にたくさんの熊本の方に助けてもらいました。

支え、励ましてもらいました。災害があったからこそつながった縁や出会いもあります。

それらはかけがえのないとても大切なもので、もし私になにかできることがあれば、これからも全力で応えたいと思っています。


だけど同時に、恥を曝け出す覚悟で言うと、「今度はこちらが支える番!」と即座に動き出せるほどはまだ、心の歩みを進められてない。そのことも、正直に記録しておこうと思います。


私の親族は、能登地震以降、ニュースなどで揺れのシーンを見ることができません。

Futoのメンバーは、「3年経つのにまだ1階で(元々は2階で寝てた)寝てるの?とバカにされるけど、地震は、いつかまた来るから」と呟きました。


傷ついた者を励まし助けるには、強い体と心が必要です。

しかし、能登地震を経験した私たちの多くまだ、前向きに腕を伸ばし、求められた手を引っ張っていくようなことができるほどの強さを得るには至ってないのだと思います。「何かしたい」と思うとと同時に「でも動き出せない罪悪感」を持ってしまう人が多くいることも、事実だと思います。


あまたの人生があり、あまたの人がいる中で、「それぞれがそれぞれの場所でできることを」というのは地震の後、歌のように口ずさんでいた言葉ですが、弱くて小さな自分だからこそできることがある、というのは、奇しくも地震が気づかせてくれたことでした。弱く卑怯な自分だからこそ、誰かが感じるささやかな痛みも一緒に分かち合える人でありたいと、ずっと願い続けています。


被災地は今、間違いなく、日本のどこよりも深く傷ついている地域です。

だからこそ、奪われ喪失した悲しみだけが集積する場所ではなく、人と人が支え合うことで立ち直れることを示すために選ばれた、強さも弱さも含め、優しくしなやかな共同体を人類が再び築き上げるために導かれた、そんな地域なのだと、信じています。



最後に、少し現実的なことを書きます。


能登地震では、「断水」が、人々の暮らしを取り戻すうえで非常に足枷になりました。

病院などの医療機関では人命救助に大きく関わることだし、一般的な暮らしにとっても数ヶ月間、水が出ないというのは本当に苦痛で、飲み水も遠慮するし、片付けも進みません。そしてなにより体を洗えない、頭を洗えないストレスは、心を静かに、でも着実に蝕んでいきました。


だからこそ、「断水は必ず防がなくては」というのは被災者・被災地の共通の認識だろうし、熊本や能登では、地震後の修繕工事で同時に耐震化が行われているものだ、と勝手に思い込んでいたんです。

しかし、今回の熊本地震で再び断水が多数発生していると知り、正直驚いています。



現在Futoの拠点周辺では、下水道関連の工事が終始行われています。

「一体、何の工事をどういうふうにやってるのか」というのは住民の耳には入ってこないので、なんとなく下水を工事して、もしかして、耐震化とかしてくれてるのかな?と希望的観測をしているだけです。ともかく、毎日、地面を掘り起こして、埋めて、を繰り返しています。


酷暑の中、大変な作業してくださることを非常にありがたいと重々理解した上であえて申し上げると、ものすごい騒音が常にあり、家の周りにずっと工事の人がいる、というのはなかなか気持ちが滅入るものがあります。


きっと熊本の皆さんもこの状況を経験なさったでしょうし、これがまた、数年かけて繰り返されると思うと頭をもたげたくなる人もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。


熊本では現在、命と安全が確保されることを第一にあらゆる活動が行われていることは間違いなく、たくさんの関係者の方に尊敬の念でいっぱいです。

その上で、今後の復旧の段階になった際は、どうか同じことは繰り返さないで、と勝手ながら述べたいとも思います。


復旧は「元に戻すこと」と言われがちですが、災害経験で失われたものがたくさんある人たちの心はすでにマイナスです。それが「元に戻る」とすれば、辛く悲しい経験もきっと「何かに、いかされる」という希望を持てた時ではないでしょうか。


お金やルールだけが、根本的な原因なのか、それは各人が考えるべきことだと感じています。

voluntary association Futo

​石川県羽咋郡志賀町富来地頭町

  • Facebook
  • Instagram
bottom of page