ごはんと器と循環
以前から、ぶつぶつ呟く課題だった避難所の食事事情。(「流れる時間とお金」)
朝と昼はパンやおにぎり、夜はお弁当という形のはそのままですが、この4月から、お弁当は地元のお店が作るのものになったそうです。
避難所ごとに違いがあるみたいだけど、おかずが入ったお弁当に温かいご飯をよそうスタイルになってたり、かならず手作りのお味噌汁がつくところなどもあるみたい。
活性化センターをはじめ大きな避難所では、上述のような細かい対応はむずかしいだろうし、相変わらず野菜不足は深刻そうですが、徐々にでも変わってきていることに、勝手ながら少しほっとしました。
志賀町では、3月から一部、仮設住宅への入居がはじまっています。
それでも、まだまだ数が足りなかったり、払い下げ可能な木造仮設の建設場所が決まってなかったりします。
現段階で仮設住宅の申し込みに外れた方や、木造仮設を希望している避難者の方は、「いつまで避難所にいなくてはいけないのかな・・・」と、先行きが見えない状態。
そんななか、少しでもあたたかく美味しく体が喜ぶご飯が食べられる「日々」を、過ごせればいいな・・・
と思いながら、先日、器をつつんでいました。
器というのは、Futoのメンバーの亡くなったご家族がつくった作品たちのこと。
今回の地震で、作品を保管していたアトリエが被災。
多くが割れてしまいましたが、それでも生き残ったものをセレクトし、3月までに寄付くださった方へのお礼としてお手紙と共にお送りさせていただきました。
あの方にはこれが似合う。この方にはこれだな、よろこんでくれるかな〜なんて選びながら、ふと、以前、漆器を一緒に保護してくれた先輩が言った言葉が浮かんできました。
「かたやゴミにされてしまう漆器や陶器の器がたくさんあって、避難所では紙やプラスチックの使い捨ての器を使っていて、なんだかねえ・・・」
崩れたお宅や蔵の整理に入ると、手付かずの食器がたくさんあったりしますが、その多くは災害ゴミへ。
仮設住宅には新品の食器が並んでいるそうです。
仮設に入れない、仮設建設の場所がないと言われる一方で、地震の影響が少なく、人の住める空き家もたくさんある。
住めるレベルでも、空き家だからという理由で壊されてしまう家もある。
(自宅とは別の町内の住宅を仮住まいとする「みなし仮設」の制度があり、それはそれで、いかされていますが)
手入れすれば使える空き店舗がある一方、全壊で商売を諦めてしまう商店や旅館もある。
「なんだかねえ・・・」
この違和感をFutoなりにうけとめて、Futo的循環の形を改めて考えていきたい、と思う今日この頃でした。