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Still Dreaming?

日暮れが早くなり、北陸特有の時雨空がつづくようになりました。


家で作業する日が増えた最近。

先日、久しぶりに夕方の散歩にでかけました。


小学校の頃、道草しながら通るのが好きだった裏道へ。

家々が立ち並ぶ小路は、愛犬の散歩でもよく足を運んだ道。

「日が暮れるのが早くなったなあ」

なんて里山を見上げながら、藍色に染まった薄暗がりを歩いていく。


昔かよっていたお花の先生の、赤い屋根の角の家。

敷地内に重機が入って解体がはじまっていました。


「先生の家も、解体かあ・・・」


なんて眺めながら角を曲がったその先の光景に、つい


「え?」


と、声を出してしまいました。



あったはずの家が・・・ない。

向かいも、その先も。


ここも、ここも、ここも・・・


しばらく足を運ばないうちに、私のお気に入りの裏道も

エリア一体で解体が進み、かつて家があった場所にはキレイな更地が広がっていました。


建物が歯抜けになったまちなみは、すでに「まちなみ」ではなく、

家と家に挟まれた味のある小路は、ただ冷たい風が吹き荒ぶ空間になっている。


その光景を目の当たりにした私は、立ちすくみ、


「私、もしかして、ずっと長い夢見てるんだっけ?」


と、ひどく、動揺し、混乱していました。



この時の感情を、自分でも正確な言葉で表現するのはすごく難しいのだけど、

まちなみが変わってしまってショックを受けたというよりも、

これほどまでにたくさんの家が、建物が、ほんの少しの間に跡形もなく消えるという出来事、その現実に理解が及ばないという感じ。


地震後も、瓦礫があればそこにはまだ家の存在や名残やそこにあると感じられる。

崩れそうな危険な建物が解体された後は「すっきりしたね」という感情を抱くこともある。


ただ、今回の地震の場合は、目に見えて崩れた家だけではなく、外観では大丈夫そうな家も室内の状況がひどかったり基礎にダメージが大きいため、解体する、という場合も多くあります。

さらに、まだ住めるけど直すにはお金がかかるし、どうせ子ども達も戻ってこないんだから、これを機に解体するという話も。まして空き家であれば、なおさら。


ともすると、「こないだまで普通に建っていた家」「あたりまえにあったまちなみ」が、ちょっと見ないうちに完全に失われてしまうこともあり、

その唐突さと対峙した瞬間、変化に心がついていかなかったんだと思います。


少しわかりづらいけど、海外旅行に行く途中、飛行機で眠ってしまって、

気づいたらすでに外国の街にいる夢を見たとき、みたいな。

そこに行くってことはわかっているはずなのに、到達する過程を知らない時の動揺。



それだからどうとか、何が悪いとか、いいとかって、ことではないんだけど。




先日、志賀町沖で震度5の地震が発生し、今も肌に感じる余震がつづいています。


元日の地震と震源が違うのか、

普段、余震といえばゴゴゴゴという地面の動きを感じる(私は富来川南岸断層のほぼ上に暮らしてます)のですが、

この数日は、ゆさゆさとした横揺れがつづいて、不気味に感じています。


揺れるたびに、自分の家はもちろん、地震で傷んでしまった建物に思いを馳せます。

また、少しずつ、壊れていくな・・・

能登は特に、これから雪が降る前での間、強い風が吹き荒び、荒れた天気がつづきます。

隙間から風が入り、ズレた瓦の上に雪がつもる。

そういう冬がやってくる。


隣の家の解体を眺めていました。

2階建ての立派な家も、重機にかかればまるでスナック菓子みたいに、簡単に折れて粉々と崩れていきます。


そんな光景を見つめながら、一方で私たちは必死になって、大規模半壊と認定された家や、傷みの激しい古民家をなんとか直して残していこうとしている。

人の手で、地道に、地道に。


自然の動きや流れに、あらがうつもりは到底ありません。

むしろその流れに寄り添って生きていきたい。


だけど、人のつくった建物やそこに育まれた文化を「形」として残したい、と思うのは矛盾なんだろうか?

私もしかして、すごく馬鹿馬鹿しいことやってる?


と思ってしまう時があります。たまにね。

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