なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(2)
- tsurusawayuko
- 3 日前
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更新日:2 日前
今回、富来地域における文化財レスキューを通じて得たFuto的大発見の一つは、
「あ、富来にも、ちゃんと人々の手仕事、ものづくりの技術があったんだ」
ということでした。
具体的にいうと、竹細工、織物、能登建築などの大工技術といったものです。
竹細工、織物、大工・・・
ああ、はいはい、地方によくあるやつね〜、という感想をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。ズバリそうでしょう。
しかし、丸尾くん。一言わせてくれたまえ。
能登におけるものづくりというと、輪島塗(輪島)、珠洲焼(珠洲)、能登上布(中能登)が特出しているのはご存知の通り。
そして、ここに生まれ育ち、暮らしている身としても、能登のものづくり=特別な職人の特別なもの、という感じで、いわゆる手仕事みたいなものの片鱗は、ほぼ感じられずに生きてきました。
そのため、なんとなーく、能登の一部の特別な産地だけでものづくりが行われていて、あとはただただ貧しい農村漁村が広がっていたんじゃないか?富来なんて、北前船でいっとき栄えただけのミーハーでチャラついた商業地でしかなかったんじゃないか?という懸念があったんです。
それが、今回のレスキュー活動を通じて、ここ富来でも暮らしのものづくりが広く行われてた、ということがわかった。
メイドイン富来があった、という発見は、私にとっては大きな喜びでした。

竹細工、織物、大工技術。
繰り返しになりますが、文字づらだけを見れば、地方ではよく聞くやつね〜、という印象でしょう。ズバリそうでしょう。
けれど、たとえ同じようなものを作っていたとしても、同じような技術がつたわっていたとしても、今のような情報社会ではないなかで、その土地独自の自然、風土、人情、精神性、あるいは外の地域との関係性、そのほか社会的背景が組み合わさったうえで育まれてきた「技」というのはもう、全国のどことも似て非なる独自のカルチャー。そう胸を張っていいものだと思っています。
P5に、笹波と前浜は竹細工の名産地って書いてあるでしょ。へへ。(もちろん発見したのは私じゃなくて、専門機関の方々でございます)
さらに、今回の文化財レスキューでもっとも私たちを興奮させてくれたのは、富来の歴史の多層性への実感。これに尽きる。
「富来町史」を愛読している身としては、縄文時代からつづく長い歴史があったことは知っていたし、北前船とか、廻船問屋とか馬の名産地とか金鉱とか、文化的な面では俳句とか、ロータリーを中心とした国際交流が盛んだったとか、そういうのは人づてにも聞いていたりもしていたのですが、正直なところ「ふーん」という感じで右から左でした。
だって今は見る影ないんだもん!
しかし今回、現に、北前船グッズが出てきたり、馬主さんの片鱗が見つかったり。はたまた、俳句を直書きされている机や、俳人の屏風、句会に使ったとされるスズリを入れたたくさんの箱が出てきたり。異国から海を渡ってきたものと思われる謎のグッズや、船乗りと金鉱の人々で賑わったという茶屋の帳簿、たくさんのキセルとタバコ盆、江戸、明治と記された輪島塗の御膳に、九谷の茶碗達、三味線、お琴、あるいはオリジナル相撲湯呑みに化粧まわし・・・そういった数々の「もの」が、目の前に現れてきた。伝説に近かった歴史は、色や形を伴ってリアルにいきいきと浮かび上がってきたのでした。






さらに、さらに。
Futoの拠点の近くの旧市街(と私が勝手に呼んでいる寂れた商店街)付近が、明治から昭和にかけて、多くの茶屋が並ぶ茶屋街だったということが実感できたのも、大きな発見でした。

今はもちろん、茶屋街は見る影もなく、むしろ地震で解体が進んでほぼ荒野となっている旧市街ですが、それでも、このあたりは平成まではにぎわいある商店街でした。
つまり、茶屋街が発達していた明治期当初から、大火や、戦時下の統制、経済的な変遷など数々の時代の波にのまれつつも、中心市街地として何度も何度も再興してきたということ。

先人たちが、いくども暗い時代をのりこえてきたという事実は、災害で立ち止まろうとしている私たちをはげましてくれるに、十分すぎるものでした。
ん?文化財ってこういうこと?超崇高な美術品とかじゃないの?
そう思われた方もいるかもしれませんが、私たちFutoが重きをおいてきたのは、歴史の教科書に載るような偉人や数限られた職人たちが作ったものではなく、富来、能登で生きてきた庶民、常民と言われる人たちが自らの手で作り出してきたもの、営んできたこと、大切に蔵にしまってきたもの、あるいは面白がって育んできたものだったりします。
文化財というのは、歴史上または学術上、芸術上の価値が高いといわれる有形無形いずれのものでもあり、専門機関ではない限り、それに価値があるかどうかを見出すのは、私たち次第、とも言えます。残されたもの、現れたものを、どう読むか、どう活用するのかは、託された私たちにかかっているのです。
