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なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(4)

更新日:3 日前


公費解体の完了が近づくにつれ、文化財レスキューの現場活動は、一区切りを迎えようとしています。


これまで出会ったたくさんの「もの」と富来の文化、歴史から学んだことを次にいかにいかしていくか。Futoとして、どう活用していくか。


まだまだアイデア段階ではありますが、これからやっていきたいことは、見出しつつあります。



まず、歴史博物館の方が書いてくださっているように、今回レスキューした道具、民具、歴史文化などに関する聞き取り調査は、喫緊に行いたいところです。公的機関に委ねたい部分でもありますが、伝承できるみなさんがかなり高齢にもなっているので、あんまり時間に余裕がありません。

民間でできることから少しずつ、早々にはじめなくてはと思っています。


また、地頭町と領家町を歩けるまちとして再構築することをめざすのも、Futo的な大事なテーマに掲げます。その方法はまだ模索中ですが、できればまちなかに、小さなギャラリーでもよいので、今回集められた「もの」と、その「もの」を通じて地域のことを伝えるような場所をつくりたいと思っています。


そしてもう一つ。これはもう少し大きな話になりますが、今回発見した、富来のものづくりや手仕事を学ぶ仕組みを構築したい、とも考えています。竹細工、織物、大工・・・。いずれも現在の継承者の多くは70代後半から80代で、その技術はほぼ途絶えかけていると言っても過言ではありません。実際、竹細工は、最後の継承者の方が病に倒れられた、とも伺っています。

まさに細い糸一本でつながっているだけの技。学校とまではいかなくても、単に教室レベルではなく、もう少し体系立てて伝えていくことができないかと思っています。地域の内外をつなぐような形で・・・。


更地広がる裏山のふもと
更地広がる裏山のふもと

今回の能登地震では、過疎高齢地域である日本各地の地方が、約何十年か後に向き合うであろう課題が、一気に前倒しになって押し寄せてきました。

 

建物の解体が進み、荒野のような空き地がひろがる。

小さな集落は喪失し、商店は閉業、介護施設はパンク状態。

学校は統合し、まちに子どもたちの声はなく、現役世代は町外へ働きに行かざるを得ない・・・

 

「いつかは、考えていかないとね」と思っていた問題が、急にどかどかと目の前に現れて積み上がっていく現実。

人は想定を超えた果てしなさに面すると、目を背け、関わることをやめ、自分を守ろうとするものです。それは当然でしょう。

 

でも、これらは、いずれ日本の多くの地域が向き合っていかなくてはいけない大きな問題です。

私たちがどこかに逃げても、必ず追いかけてくる、そういったものです。

ならば、今、最前線にいる私たちが、それが正解かどうかはともかく、その問いに応えていく、答えようとしていく。

それは、被災地である富来、能登で生きる私たち大人の責任みたいなものじゃないかと思います。

 



なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか。


Futoにおける文化財レスキューは、集まった「もの」を通じ、この地の顔、個性やこの地域らしさを掘り起こし、災害を機に失われつつある地域のほこりや愛着、この地に生きる喜びをレスキューしていく活動だと思っています。


幸というか、不幸というかはわかりませんが、いずれにせよ私たちはこの災害を機に揺り起こされた「もの」を通じて、この地で人々が紡いできた歴史と文化のバトンを受けとりました。


次は、私たちが歴史をつくっていく番。たぶん。



最後に、宮本常一は、「ふるさと」について、こうも語っています。


ーーーどんなにりっぱに見えるものでもほろびかわるものである・・・ところがものによっては意外なほど残っている。・・・それらのものはある個人がそれを残したいと思って残したのではない。


そこに住んでいる多くの人が残したいという思いをこめて守ったからである。

そうした思いのみちているところにこそまた思いをこめて語りかけたくなる。


ふるさととはそういうものであろう。





voluntary association Futo

​石川県羽咋郡志賀町富来地頭町

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