台湾レポート 手仕事編4 プラスチック
- 5月28日
- 読了時間: 14分
更新日:6月2日
2026年5月、夕暮れ時。
宮崎さんと別れた一行(福智の法師さん3名と通訳さん、そして私)は、甲府から東京に向かう特急「かいじ」に揺られていました。
少し復習すると、この甲府滞在以前、法師さん含む福智の皆さんは「花まつり」のため富来に滞在していました。
花まつりは毎年5月、富来在住のリンさんが開催してるもので、台湾とか日本国内の福智のメンバーの方が富来に来てくださって(今回は50名!)、催しをしたり台湾素食を振る舞ってくださったり、海岸清掃を行ったりするものです。
私は昨年初めて参加させてもらい、そこで福智の法師さんと知り合い、今年の台湾訪問にもつながりました。
花まつり自体はFutoが関わっているものではないので、本来であれば一個人として行事に参加するだけでいいんですが、今回は法師さんたちに加え、私が3月に台湾に行った際に知り合った方々(オーガニック茶チーム。この話はまたどこかで)も富来に来てくれることになっていたので、皆さんに活動のことや富来の現状を知ってもらおう!と、はりきって、富来の案内を企画したのでした。
Futoメンバーである榎本さんのアトリエ訪問、裏山での野草摘みや山案内、Futoの集めている古民具を見てもらったり、輪島塗の木地職人の友人宅をご紹介したり。
花まつりでは、毎年恒例の海岸清掃を行い、台湾素食もおいしくいただき(今年も非常に美味でした)、その後、オーガニック茶チームの台湾茶芸を体験したり。
その都度、現状とか課題(人の手が入らないため山が荒れて、その荒れた山の影響で地震の被害が広がった、とか、少子高齢で地震後の地域の再生につながりづらい、とか)を共有し「では今後、一緒に何ができるか」ということを深く議論してきました。
3月の台湾へ一緒に旅をした中学生の子も来てくれたので、「台湾の学生さんに来てほしい」という件も、再度依頼したりしてね。


そんなこんなで、充実した花まつり兼富来案内が終わり、数日後の甲府。ここでも宮崎さんとも超濃厚なお話を交わさせていただき、思いを福島県三島町まで馳せたりして・・・
正直に申し上げて、この時点でさすがに頭がウニ状態だったわけです。ウニを通り過ぎてピーマンだったと言ってもいい。
だけど、ぼんやり車窓を眺めて旅気分で帰り道、というわけにはいかないのよね。だってこの甲府の帰り道は、3月の台湾滞在からつながる、一連の台湾物語の一区切りというか総まとめまとめのような時間だったのだもの。
ということで。
揺れる電車のなかで法師さんからまず、「今後、私たちは能登の課題にどう関われるか」という非常にありがたい問いかけがありました。
私は、「今回の滞在中、みなさんと深い議論ができたことがとても意義深いと感じました。年に数回でもいいので、このように話をする機会を重ねて、台湾の皆さんと関わりをつづけたい」というようなことを答えました。
加えて、「単に集まって話をしよう、とか哲学の勉強会しましょう、というのでは集まりづらいのが現実です。たとえばゼミのような形で、野草摘みを含めた台湾茶芸とか、素材の採取を含めた輪島塗の木地づくり体験とかをしながら、その行為に付随して話をして、学びを深めていくような機会を作りたい。イベントではなく継続的に」 と提案しました。
我ながらいいこと言ったわ、と満足した私は、あとは窓の景色でも眺めて(暗いけど)、東京までゆっくり・・・と話を切り上げようとしたわけです。
そしたら、法師さんがね。
「そうですね。海洋ゴミの清掃活動も、そのプログラムの一つに含めればいいと思います」
と言ってくださったんですよ。
普段なら「そうですね」とでも言って終わっていたはずなのに、頭がピーマンだったせいか、この数日ずっとひっかかっていたことがあったのかわからないが、私は無意識に「・・・もごもごもご・・・」と煮え切らない返事をしていました。
即同意が返ってくるだろう、と踏んでいた法師さんと通訳さんからのハテナの熱視線を受けた私は、それでも、「うん」と言わなかった。言えなかった。
なぜかって?
私の頭には走馬灯のように、これまでの人生がめぐっていました・・・
これまでの人生の・・・「彼と私」の関係・・・・
因縁もいえる、海洋プラスチックの彼と私の関係が・・・
(波の音)
思い起こせば、彼との出会いは、私が小学生か中学生の頃でした。
あの頃はまだ、ふるさとの美しい海辺で彼を見かけるのは、ときおり。
彼の存在を意識することは、ほとんどありませんでした。
けれど、私が大学生になった頃でしょうか。
徐々に、彼の存在が色濃く強くなっていったのは・・・。
春休みや夏休み。
長い休みになると私は、生まれ育った懐かしい海へ足を運びました。
波の音と潮の香りは、いつでも私を落ち着かせてくれます。
いつもの海、いつもの香り、いつもの音色・・・
でも、何かが違う。
その時、私はすでに、自分の気持ちに気づきはじめていました。
海に行くたびに、目に入る、彼。
見ないつもりが、目が追ってしまう、原色の姿・・・
私、彼のことが、気になってる・・・
でも、私はほんのバカンス程度ここに滞在している身。
彼に対して何かするなんて・・・そんな無責任なこと・・・
迷ったあげく私は、地元の役場に「彼の存在が目につきすぎるので、どうにかしてほしい」と投書し、逃げるように町を離れました。
町を離れてしばらくは彼の姿がチラつきましたが、それも束の間。
都会の喧騒に埋もれてしまえば、彼の記憶もあっという間に薄れていきました。
しかし。
時はめぐって、2020年。夕暮れの海辺。
コロナ禍を機に地元に戻って暮らすことになった私は、ついに彼と対峙していました。
彼がいるとわかっているのに、どうして海になんていったんだ?なんて言わないでください。
ここに暮らしながら海へ行かないなんて、考えられないわ。
いいえ、私は甘かったの。目を背けることができると、思っていたんです。
でも・・・
美しい海、黄金の砂浜・・・あっちにもこっちにも・・・・彼がいる・・・
私は、理解しました。ここで暮らす限り、避けることはできないと。
覚悟を決めた私は、それから毎日、来る日も来る日も、青い袋と青いトングにお揃いの青いシャツ姿で、海岸の彼に会いに行きました。正確には、彼を拾い集めに行きました。
あっという間に袋いっぱいに詰め込まれていく、彼。
最初の頃は、やっと彼と向き合うことができる日々の達成感に、どこかすっきりと満足していました。
でも、人間ってかなしいものですね。
新鮮な気持ちが保てたのも、数ヶ月のこと。
日が経つにつれ、私は徐々に彼の存在が、いいえ、彼に対する私の気持ちが重荷になっていくのを感じていました。
集めても集めても、とらえることなんて到底できない彼。
暴風のたび、何十倍にもなってもどってくる彼。
細かく分裂し、砂に入り込む彼。
週に2回の収集日まで、我が家の一角で山積みされていく、彼のつまった青い袋。
スーパーで、彼の仲間に包まれた野菜、肉や魚を見るたび、海辺の彼が思い出されて、全てが憎々しく思える・・・
この世のどこもが彼ばかり。私、一体、いつまで彼に生活を支配されていくんだろう・・・
・・・このままじゃ、私・・・・
思い詰めた私が錆びた青いトングを力強くぎゅっとにぎりしめかけた、その時・・・・
救いってあるんですね。
彼を掴もうと振りかぶった青いトングの向こう側の広大な日本海へ、一筋の光が、まるで小林幸子さんの登場シーンのように、注ぎ込んでいたんです。
その瞬間、その光そのものみたいに、一つの考えが私に降りてきました。
「そうか。私一人だけが彼に夢中だから、つらいんだ。みんなが彼を追うようになればいい・・・」と。
そこで編み出したのが、「道の駅をサキュラーエコノミーの拠点に」という企画でした。
急に現実的ですみません。
一応説明しておきますと、ここまでの「彼」というのは海洋プラスチックのことです。
で、この時考えたのは、ゴミをゴミだと思うからみんな見て見ぬ振りするのであって、その海洋プラスチックを道の駅の通貨にすればいいじゃん、というものでした。価値がないんじゃなくて価値があるものにすればいい、という発想で、我ながらいいアイデアだなと今も思ってるんだけど、当初も自信満々で、ついつい役場にまでプレゼンに行きました。
そしたらね、役場のなんとか課のなんとか課長さんが「それはいいね!」と言ってくださったんですよ。
で、紹介されたのが、観光協会でした。
2021年の5月頃のことです。
(電車の音)
2026年5月。
ここは甲府から東京に戻る電車の中。たぶん大月あたり。
私は、遠くさざなみに耳をすませながら、彼との思い出に浸って・・・
いたら、怒りが込み上げてきた。
そして、叫んだ(心の中で)。
「Not Kanko(観光)!!But Kankyo(環境)!!!!!!!」
と。
これはもう本当に事故みたいなもんなのですが、私の答えをじっと待っていてくださっていた法師さん(正確には通訳さんも)に対し、湧き上がってきた過去からの憤りをあてつけんばかりに、私はめちゃくちゃ感じの悪い言い方で、
「海洋清掃ももちろんすればいいと思うんですけどね?海岸清掃する目的はね、環境なんですよ。観光じゃないんですよ!”ビーチが綺麗になってよかったね〜!”じゃないんですよ!!!!その背景をきちんと学ぶ時間がないと意味ないんですよ!!!ねえ!?」
なんて言い放ったわけです。(本当ごめんなさい。通訳さんありがとう)
そしたらね、法師さんがね、
「そうですね。福智の学校には、プラスチックや海洋ごみについて専門の先生もいますし、授業を行うことも可能ですよ」
・・・何歩も先を行っていたぜ、Fukuchi!!!
ということで、いい意味で肩透かしをくった私は、恥ずかしさをごまかすために車窓に目をやりながら、
しかしまあ、なんで法師さん、こんなに海岸清掃、海岸清掃言うんだろなあ。
ゴミ拾ってくれるなんてありがたいけど、わかりやすい善行だからかなあ?台湾にもゴミくらいあるだろうに・・・
とか思ってたんです。
そしたら、はっと気づいた。
たぶん八王子あたり。
「あ、もしかして、気軽に拾える海洋プラスチックって、どこにでもあるわけじゃないのか!」と。
台湾にももちろんゴミは落ちているけど、すぐ近所に海洋プラスチックが漂着して、拾い放題で、しかも海洋ゴミ以外は綺麗な海岸なんて、国によってはそうそうないかもしれない(潮の流れで漂着しないとか)。
そんなこと考えてたら、小林幸子さんの光がもう一回降りてきた。
「もしかしてこれって“こんないいところあるのに、地元の人がわかってないんだよね”の逆バージョンで”こんなに海洋漂着物があってすぐにそれを拾えちゃう環境なのに、当たり前すぎて気づけなかった”ってやつ?というか、海洋プラスチックってもしかして、能登・富来ならではのものづくりにつながる”素材”なんじゃないの?」
みなさん、覚えてますか?
私が前回のレポートで「手仕事の産地が産地たるのは”素材”があること」なんて偉そうに語っていたことを。
誤解があると困るので言っておきますが、「ものづくりにつながる素材」といっても、「プラスチックをつかってアート作品に」とか「海洋プラスチックを溶かして再生して」という意味ではありません。
実際に漂着している大量の海洋プラスチックを自ら回収するという行為(海岸清掃)と、その後の学び(プラスチックはどうしてここに漂着したか、それらがなぜ問題なのか、自然環境や動植物、私たちにどのような影響があるのか、といった座学や議論)が加わることで、人々はより現代社会における「もの」の選び方へ思考を深めることができるのではないか?と思ったんです。
しかも、能登・富来では同時に、山に入って自然素材をいただき、それを使ったものづくりの見学や経験も行うことができる。
これって、能登・富来ならではの「学びの素材」じゃないか。
これまで、ただひたすらクリスタルキングの「大都会」を口ずさみながらトングで掴んでゴミ袋に詰め込んできた彼(海洋プラスチック)との関係に吹いた、新しい風・・・個人的に世紀の大発見ともいえるものでした。
ああ、法師さんありがとう。なんならあの時、観光協会紹介してくれた課長さんさえ、なんかありがとう。
みんなありがとう、ありがとう・・・
感動で潤んだ目をそのまま法師さん(通訳さん)に向けながら、私は、
「これまでプラスチックはただの海洋ゴミにしかなり得ないと思っていたけど、これも、ものづくりにつながる重要な学びの素材だったんですね!!!!」
と、握手かわすごとく右手あげながら熱量たっぷりに伝えた!
その視線を受け止めた法師さんは!
「そうですね」
たった一言かえってきた言葉も即、特急「かいじ」の音にかき消され、行き場の失った私の右手だけが熱量をもって宙を舞っていました。
あ、もう立川か・・・
真面目な話に戻ります。
そもそも「なぜ自然素材を使った手仕事が廃れてしまっているのか」という話を突き詰めると、「代替製品」の存在は切ってもきれないものだと思います。つまり、プラスチック。
宮崎さんからのお話で、生活工芸運動をはじめた当初(196、70年代)のこんなエピソードがありました。
「フィールドワークで三島町にあるお宅に行き、お話を伺っていた時。マタタビで編んだカゴにみかんが入っていたが、そのお宅の方が(宮崎さんに)みかんを薦めようとして『あら、こんな粗末なカゴじゃあ』といって立ち上がり、立派なガラスケースからプラスチックのカゴを出し、わざわざそれに入れ替えて、みかんをお出しになった」
もちろん当時よりプラスチックの格や扱いはずっと下がっていると思いますが、これまでに富来でも、日本のどこでも、竹が、マタタビが、あけびが、同様にプラスチックに変わっていったわけです。
地震後、輪島塗がポンポン廃棄されてしまっていた代わりに、「楽ちん」なプラスチックのお椀が好まれていたわけです。
おそらくですが、現代の日本の多くは、手仕事でつくられたものが素晴らしいということは、わかっているのだと思います。だけど、なぜ人々はそれを購入しないか、あるいは用いないか。
その理由は、プラスチックのもつ清潔さとか扱いやすさ、軽さといった理由もあるでしょうが、ほとんどは「経済的理由」じゃないでしょうか?
手仕事やものづくりの製品に対して多くの人は「いいとわかっているが高い」という認識を持っており、「意識が高い人が使う」「経済的豊かな人が使う」ものとして認識されているようにも思います。一方、プラスチックは「安価」で「誰でもすぐに手にいれることができる」。あるいは、「手間がかからない」「いらなくなったら捨てればいい」。
これは現代の日本社会がかかえるかなり根強い課題で、手仕事や伝統的なものづくりをアップデートしよう、再び興そうとする場合、まず向き合わなくてはいけないテーマではないか、と思っています。
逆にいうと「ものづくりは、手仕事は美しい、すばらしい、日本の伝統だ、価値がある。だから使いましょう」というアプローチだけではなく、大量生産大量消費物がいかに問題か、プラスチックが抱える自然環境への課題はなにか、どうして、我々は、人の手でつくるものに再び目を向ける必要があるのか・・・?そういったことを多角的に見る視点と、それを学び伝えることこそ、手仕事の産地として(を目指すのであれば)重要なのではないか、と感じています。
プラスチックの海洋ゴミも、自然素材を得てつくるものづくりも、対立ではなく、すべてが連関しあった存在です。
そして、そのことについて、実を伴って表現するための素材はすべて、能登・富来にあるんです。
さて、最後に、今一度、2026年5月現在Futoが考える「手仕事の産地」についての考えを整理して、台湾レポート手仕事編を締めくくりたいと思います。
台湾編なのかどうかよくわからない感じにはなってますが、もしここまで長文につきあって読んでくれた方はきっと、ご了承くださるでしょう。
・Futoの考える「手仕事の産地」とは、伝統的な手法でものづくりを行う本寸法の職人もいれば、独自性を活かした創作を行う作家もおり、趣味でものづくりを行う人も広く存在するという、多様な作り手が共生する場所である。
・制作技術だけではなく、その地に存在する素材(自然素材、あるいは伝統的に継承されてきたもの)を活かしたものづくりが行われている。
・人が自然と関わりながら素材を得、その素材を加工し成形すること(表現として制作されること)のみならず、作り手自身あるいは作り手相互での研究教育活動および、啓蒙的活動が横断的・継続的に行われている。
※ここでいう「素材」とは、ものづくりに直接つながる素材だけではなく、海洋プラスチックのように、手仕事やものづくりの意義を再考する上で重要となる社会課題に対する「学びの素材」も含有する

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余談にはなりますが、私たちが、手仕事・ものづくりについてご支援いただいている小笠原敏晶記念財団さんは、プラスチック(高分子分野)の科学技術振興を目的に、エンジニアリング・プラスチックを中核とする企業(株式会社ニフコ)の創業者である小笠原敏晶氏によって設立された財団です。高分子・プラスチック分野における革新的な新素材開発や加工技術、プラスチックが引き起こす環境負荷を軽減するための環境にやさしいバイオプラスチックの開発や、既存のプラスチックの長寿命化・高機能化を目指す研究などに多額の助成を行っておられる財団です。
同時に、新しい価値を創造する存在として、アーティストはじめ文化・芸術分野への支援を行っており、今回私たちはその分野で助成を受けています。
