台湾レポート 手仕事編1 原住民・富来族
- 5月28日
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台湾から戻ってきて、あっという間に2ヶ月経とうとしていますが、お待ちかね(?)、台湾レポート、手仕事編をお送りいたします。
ここで、今一度、自分のために整理をしておきたいと思いますが、今回、台湾にお伺いした目的は大きくわけて二つ。
一つは、台湾のオルタナティブ教育の現状を学ぶこと。
そしてもう一つが、台湾の、竹細工や織物といった手仕事の現状を知る。
(背景や目的の詳細は、こちら)
いずれも、能登・富来の再生にむけて(地震からの復興というよりは、地震前から抱えていた社会課題も含め、地震を機にあらためてこの地を再生する、という意味合い)のものです。
前回はオルタナティブ教育についてやたら長いレポートを提供しましたが、今回も、やっぱり長いネ!手仕事編です。
さて、私たちがこれから取り組もうとしている「地震を機に、富来で掘り起こされた手仕事」の例として挙げているのが、「竹細工や織物」です。
もちろんこれだけではないのですが、主にその二つを掲げている手前、「竹細工と織物の現状を知るなら、日本でええやん!」と皆さんのツッコミが聞こえてきそう。なんなら私自身も、ツッコミたい。
ただ、今回は、教育の切り口から台湾にご縁が生まれたことに加え、「やっぱり台湾だ」と決意した、一つのおおきな理由がありました。
それは、竹細工や織物といった台湾の手仕事を担ってきた中心が、原住民族だ、という点です。
みなさんは、「原住民」とか「先住民」あるいは「ファーストネイション」という言葉を聞いて、どんな印象をもたれるでしょうか?
ちなみに私自身は、物心ついたときから「原住民?めちゃかっこいい!」と思っていました。
その理由は、なんせオシャレ。
かっこいい模様の衣装を着てる。アクセサリーもセンスよすぎ。超いけてる!と思っていました。
さらに大人になり、改めて「原住民」とか「ファーストネーション」と言われる人々の暮らしを顧みてみると、その地の自然に沿って生きる豊かな知恵と技術をもち、自然から素材を得て、自分たちの手で必要なものをなんでも作り出せる。精神性に学ぶことも多い。
ああ、なんてかっこい・・・・
ん?この感情、どこかで・・・・・・
ところで。
導入編にも書きましたが、台湾には16の原住民族がいます。
(16は、国から原住民族として認められている数。ちなみに「先住民」ではなく「原住民」と表記するわけは、「先」という言葉に「既になくなってしまった」という意味が含まれるため)
彼らは、千年以上にわたり、台湾の地で暮らしてきた民族。
一方、現在の台湾の98パーセントを占めるもうひとつの民族が漢民族。彼らの祖先は17世紀以降に中国から移住してきました。
詳しいことは専門外ですが、台湾では原住民に対して、戦前は当時台湾を統治していた日本(!)が、戦後は台湾政府が、いずれも同化政策を行ってきました。
その後、1980年代に原住民族の権利獲得を求める運動がはじまり、さまざまな紆余曲折を経て、原住民族の権利は徐々に回復。
現在の台湾では、原住民族の言語や文化振興が盛んに行なわれ、原住民は「台湾独自のアイデンティティをもたらす重要な要素」として、認識されつつあるそうです。
とはいえ、そうそうスムーズにことが進まないのは、人の世の常。
台湾政府は、原住民のコミュニティや文化継承・発展を支援するため、予算を増やし助成金を注ぎ込んでいるようですが、原住民の経済格差や貧困、仕事や教育環境を求めての都市部への流入、文化の観光化など課題は多く、逆に、原住民族外からは、原住民に対する政治的特権・優遇措置への不満や、「原住民にばかりに国の予算を注いでいる」といった批判が起こるなど、国内での歪みも深刻なようです。
また偏見も色濃く残っており、実際、私自身もある台湾在住の方から「原住民が仕掛けた罠が台湾ツキノワグマを絶滅においやった」というような話を聞いたこともありました。
まあ、そんなこんなを台湾渡航前に調べたり感じたりした私は、ふと、気づいんたんですよ。
「似てる」
と。
何と、似てるかって?
能登と、です。
これは本当に語弊があるかもしれないし、あくまで一個人の感想として解釈いただきたいのですが、私は、台湾の原住民の方が育んできた「自然とともにある暮らし」というのは、能登・富来、あるいは日本の地方で伝統的に行われてきたものと一緒じゃない?、と思いはじめていました。
もっというと、能登・富来、あるいは日本の地方で伝統的な暮らしを行う(行ってきた、あるいは取り戻そうとする)人たちは、日本の、富来の、原住民といってもいいのではないか。
同時に、能登・富来、あるいは日本の地方が現在抱える課題は、台湾をはじめとした世界の原住民の方が直面している課題と、非常に共通している部分が多いのではないか?とも。
「原住民」とか「先住民」という言葉が時に差別的に聞こえるように、日本では「地方」とか「田舎」という表現に、どこか蔑みが含まれる場合はないでしょうか?
むしろ、地方の人ほど、自分たちのことを蔑んでいたりもする。
地震後、ありがたいことにいろいろな方と話をする機会に恵まれましたが、都市部に暮らす方から、「地方にばかりお金が注がれていて都市部で暮らす若い世代は、全然メリットがない」という苦しい現状を聞くことも、何度かありました。
はっきり言葉にしないけど「国から、能登の復旧復興のために注がれるお金」について思うところがあった人も、一定数いると思います。むしろ、能登で暮らす人たちから、「こんな誰もいなくなるところに、国からたくさんお金もらって(申し訳ない)・・・」という言葉も、何度も聞きました。
(地方へのお金や地震後のお金に関しては長くなるのでここでは語りませんが、「お金が足りない」のではなく「公的な機関をふくめ、適切にお金を使える場所・人にお金が届いてない」ということだけは発言しておきたいと思います)
都市と地方が比較対立構造になってしまっている点も、そこから生まれる経済格差あるいは認識の齟齬も、私は、台湾原住民をとりまく課題と非常に共通項があるように感じています。
さらに、少子高齢社会であることに加え、台湾も災害大国。今回能登で起こった「過疎高齢、衰退が進む地方での災害」という経験は、両国に新たな切り口で課題を投げかけています。
日本では、明治時代の同化政策や戦後教育で、「日本人は単一民族」という認識が浸透してしまったため、原住民とか、ある一民族として、コミュニティや生活スタイルを認知することがほぼなくなってしまいました。(アイヌと琉球民族はありますが)
そのため多くの日本人は、「自分たちはどこからきたのか、自分たちは何者か」という問いを消し去ったまま、「日本人だ」という漠然とした括りで自分たちを意識しています。
今回の台湾への渡航をきっかけに、私は、その「漠然とした全体としての日本人」というのが、地方のアイデンティティ喪失につながった一つの理由ではないか?と仮説を立てています。
そして今一度、あえてここで違いを認める(明確にする、言語化する)ことが逆に、各地に暮らす人々のアイデンティティの確立、都市と地方の相互理解へのいとぐちになるのではないか、とも感じています。
たとえるなら、「家族だ」と思うとささいな違いにイラだつのに「他人だ」と思ったら急に寛容になれる、みたいな。
あくまで理想でかためた話ですが、なぜ、日本の地方の人々には誇りが見出せないのか、そこに民族性はかかわっていないのだろうか?
逆に台湾の原住民は「台湾独自のアイデンティティをもたらす重要な要素」とされているらしいが、実際のところどうなのだろうか?
それらを、手仕事という文脈で、読み解くことはできないだろうか?
そんなことを思っていたのか思っていなかったかは自分でもよくわかりませんが、現在消失しつつある「富来族」(もともとないけど)代表の私は、一路、台湾原住民の手仕事を探る旅へと出かけたのでした。
つづく
※一般的に「原住民」という言葉は、元来そこに暮らしていた人という意味合いの言葉で、「移住者」「征服者」と対義語の扱いです。
しかし私は、そういった概念とは別の解釈で、その地の自然とともにある暮らし(衣食住)を自らの知恵で行う人たち、と捉えています。どのような生き方をしているかという点が主軸なので、血縁や出自は重要ではなく、移住者も含めています。
※手仕事のプロジェクトの実費に関しては、公益財団法人 小笠原敏晶記念財団さんからの助成金を受けています。
手仕事、手仕事と言ってはいますが、目的は、ただ手仕事を復活させたいとかあるいは仕事とか生業をつくりたい、のではなく、手仕事を通じてこの地域の個性やアイデンティティを取り戻すとともに、自然とともにある暮らしを現代社会へ提唱していくことを目的にしています。
※アイヌについて、ひょんなところからつながりが広がっていくのですが、これはまた別のお話。

