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台湾レポート 手仕事編3 産地とは「素材」のある場所

  • 5月28日
  • 読了時間: 9分

更新日:3 日前


2026年5月。


私は、甲府にいました。

 

え?

台湾にそんな地名あったっけ?


と思いのみなさん。

あるんですよ、ええ。東の方の県で、山が見えて、ワインがおいし・・・・


と言いたいところですが、すみません。


ここはKofu、Yamanashi、Japanです。

富士山が見えます。ワインも美味しい、ジャパンです。

 

話というか、実際に距離も飛びすぎてみんなついてこれないよね。

私も今UFOに乗ってる気分なんですが、ひとまず、甲府のことを忘れていただいて、前回の話に戻りましょう。


前回、台湾レポート手仕事編2で私は、台湾で訪問した3か所を通じて得た視点みたいなものとして、「幾何学模様と装飾」そして「素材」という二つについて、触れました。


今回はその続きなんですが、「幾何学模様と装飾」については別の機会にもっと掘りさげることになると思うので一旦置いておいて、これから、主に、「素材」について語っていきたいと思います。



冒頭から結論みたいなことを言ってしまいますが、私は台湾での滞在を経て、あるいはその前後で「手仕事」とか「産地」に思いを巡らせるなかで、「産地が産地たる第一の理由は、素材が得られることなのではないか?」と考えはじめていました。

ものづくりがあることが前提ではなくて、まずその地に素材があり、それを生かして必要なものを作るということこそ、私たちらしい手仕事の姿ではないか、と。

 

もちろん素材を使って加工する作り手がいることが大前提なのですが、「ネットで全国どこでも誰でも買える素材を使って行うものづくり」であれば、私たちが目指すところの「手仕事の産地」とは言いがたいのではないでしょうか。

 

台湾で訪問したKamaro’anさんは台湾のチームですが、台湾内の特定の場所にこだわることなく活動を進めているのだと解釈しています(アミ族というカテゴリはあるのかもしれませんが)。そのため、素材に関してはハイブリッドな展開をしている方が、むしろしっくりきます。

 

一方、私たちはある程度「能登」「富来」という特定の地域を核として活動することを考えている。

その中で、周辺の自然環境に加え、今回の地震の経験から得られた素材(自然素材だけではなく、着物や古布も素材という認識)は、切ってもきれない存在です。


産地とは、素材のある場所。

 


その仮定が確信につながったのが、宮崎先生とのお話でした。


 

宮崎先生の登場が突然すぎてみなさんキツネにつままれていると思いますが、宮崎先生または宮崎さんこと宮崎清さんは、山梨県甲府出身、千葉大学の名誉教授。で、現在は甲府に住まわれています。

 

工学博士であり、デザイン学、サステイナブルデザイン、生活文化、地域振興デザインの分野における第一人者とも言える方。長く、日本の藁文化の研究などにも力を注がれていました。

ということは後からネットで調べたことで・・・。

 


人生とは数奇なものなのですが、宮崎さんとのご縁は、3月の台湾訪問の際。

福智の法師さんから「ゆうこさんたちが台湾に来ている時に、千葉大学の名誉教授の宮崎先生が来ているから紹介したい」と声をかけてもらったところではじまりました。

当時は台湾あれこれに頭がいっぱいで、宮崎さんが一体何者か調べる間もないまま、台北郊外の高層ビルの一角に呼ばれ、日本人同士が台湾のお坊さんを通じて知り合う、という珍妙な出会いを経験していました。

 

その時はしっかりお話しする時間がなかったものの、この5月、年に1回富来で行われている花まつり(昨年の花まつりについては、こちらをどうぞ)のために日本に訪れていた福智の法師さんチームが、「今回の日本滞在中、甲府の宮崎先生のところも訪問するので、ゆうこさんも一緒にきてくれませんか?」と誘ってくださり、甲府へやってきたのでした。

 

「手仕事と素材の話の匂いがする・・・」

私の嗅覚が、私を甲府に導いたのです。

 

というのは真っ赤な嘘で、相変わらず日々に追われ宮崎さんが何者か知る由もなく、何の話をするのか全くよくわからないけど「お坊さんに誘われたのに断るのって、なんかよくないよな」と思って、ひとまず甲府に行ってみたわけなんです。

 

 

で、2026年5月。ここは、甲府ジャパン。


曇っていて富士山は見えないけど山の頂を探して窓の外へと目を泳がせながら、3名のお坊さんに囲まれ、名乗る間もなく宮崎邸のソファに腰掛けている私がいました。

 

「いやあ、みなさんよくお越しいただきました」という宮崎さんの声につづいて唐突に響いたのは、法師さんの「では、ゆうこさん、相談をどうぞ」。


「えっ?私、何か相談したいことありましたっけ?」

 

と夜中に叩き起こされたみたいな大人気ない対応をしてしまった私。


宮崎さんも「あんた誰」と思っていたはずだけどそれは言葉にも顔にも出さずにいてくれましたが、変な間が発生したことに慌てた私は「いや、まず法師さんから、どうぞどうぞ」と、もはや大航海ばりに目を泳がせながら無茶振りを返したのでした。


しかしここは法師さん。「Futoが富来で行おうとしている、例えばものづくりとかの取り組みについて、何か宮崎先生からヒントを教えてもらえるのではないかと、紹介しました」と絶妙なコメントをしてくださったので、「あ、そうですね」と急に背中伸ばし「Futo代表感」をかもしだした私は、簡単な自己紹介と、地震後の文化財レスキュー活動を通じで出会った能登の手仕事や、今後取り組もうとしていることについて、簡単にお伝えさせていただいたのでした。

 

なんてまとめるとかっこいいけど、はっきりいって「地震で竹細工が出てきて、再興しようと思って・・・」くらいしか語ってないんですが、さすがの勘をはたらせた宮崎さんはすぐに、福島県の三島町での取り組みについてご紹介くださったのでした。

 

 

福島県三島町の2026年4月号の広報
福島県三島町の2026年4月号の広報

 

 

宮崎さんの経歴については豊かすぎて語りきれないのですが、一つ主だってこれ、とご紹介できるのであれば、千葉大学在学中から(その後も長く千葉大学で教鞭をとっておられた)、福島県三島町の「生活工芸運動」を進められてきた方、という点です。

 

三島町の生活工芸運動についての詳細は、生活工芸館三島町ふるさと運動50周年記念特設サイト」、「三島町観光ポータルサイト」などをご覧ください。



三島町についてこの時までまったく存じ上げなかった私も、宮崎さんがいろいろと資料を見せてくださったり口頭で説明くださったりして、一気に理解が深まり、話が盛り上がる(というか一人で納得したり興奮したりしてた)。気づけば台湾の皆さんそっちのけで(通訳する暇も与えず)、濃厚なお話させていただくことができました。(奥さまは奥さまで有機農業の取り組みをはるか昔からやってこられたとかで、こちらも盛り上がる)


そんな宮崎さんのお話のなかで、特に印象的だったのが、山ブドウのカゴの話。


三島町の「生活工芸運動」の伝統的な手仕事といえば、「ヒロロ(深山寒菅)」、「マタタビ」、「山ブドウ」などを素材とした「編み組細工」なんですが、その技術や文化を現代に引き継ぎ、後世に伝承することを目的として毎年春に開催されているのが「三島町生活工芸品展」(現在45回目!対象は町内の作り手さん)です。

対象を全国の作家さんに広げた「全国編み組工芸品展」と合わせて、宮崎さんは立ち上げ当初から現在まで、その二つの展示の審査員をつとめてきました。


その応募作品についての話のなかで。


「最近は山ブドウのカゴというと、フシのない場所を細く5センチほどに切り揃え、キレイに編むことが主流になってしまってるんです。・・・でもね、私は、そうじゃないでしょう、と」



と言って見せてくださったのが、このカゴ。




能登は山ブドウの手仕事が盛んじゃないのと、そもそも見る目が乏いため、旅先とかおしゃれなお店で見かけるカゴバッグが「山ブドウなのかマタタビなのかアケビなのか」を見極められない私なんですが、これはすぐに、「あ、山ブドウですね」と思ったんです。


だって、裏山に生えてる山ブドウの姿と一緒だったから。



「おもしろいでしょう。そのフシも」と言いながら宮崎さんは静かにこう続けてくださいました。


「生活工芸展の審査員として、山ブドウの素材を細く切って工作する人を否定はしません。でも、宮崎清賞として、私は、その、フシだらけの山ブドウのカゴを選びます。それは生活工芸展の大賞にはならないが宮崎清賞として選ぶ価値があると思っています。フシがあるものを特別賞に選ぶということで、私は、”素材に対する目”はより多角的なのだ、ということを伝えています。そしてそれを特別賞として残すことで、後世、子どもたちにもその、”素材に対する目”を伝えていくという思いをもっています」


さらに宮崎さんは、生活工芸運動をはじめた当初のことを語ってくださいました。


「地元の人に連れられて、山にヒロロを採りに行くんですが、ヒロロは沢とか水辺にあるんですね。山をわけ行って、採りに行く。ああ、こんなところまで採りに行くんだ・・・って最初は驚きましたよ。ヒロロ、山ブドウ、マタタビ、その三つの素材はどれも採れる場所が違う。でもそうやって、山に入って素材を採ってくるとね、素材に愛着がわくようになってくるんですよ。素材を”いただく”ということが、とても大変なんだってことがわかるんです」


ヒロロ(深山寒菅)で編まれたバッグ
ヒロロ(深山寒菅)で編まれたバッグ

 

私はこの宮崎さんとの対話を通じて、「産地と素材」についての思いを確かにしていました。

さらに、単に「素材があるから産地」とか「山の手入れにつながる」ということ以上に、「素材をいただく」という精神性こそが、ものづくりの土台なんじゃないか、と感じるようになってきました。



宮崎さんは最後に、ポツリと、こうも、おっしゃいました。


「能登に竹細工があるということは、それ以外もあるんじゃないかな」


と。


言葉を言葉通り受け取ると、もちろん、竹以外にも、アケビもあるし、山ブドウもあるし、クズもあるし、あるいはアテ(能登ヒバ)なんかもある、ということになります。


竹以外の自然素材も活用しながらほぼすべての道具を自分たちで作って生活してきたんじゃないか?ということかもしれないし、三島におけるヒロロや山ブドウ、マタタビのように、それぞれが異なる場所に生息している素材を再興することで、それぞれの山を場所を手入れすることになる(かつての人もそうやって自然と共生してきた)、という意味合いかもしれない。


でも、もっともっと先がある、そんな気もしています。


この宮崎さんからいただいた言葉はひとつ、教示のように今後も残っていくような気が、しています。



つづく




voluntary association Futo

​石川県羽咋郡志賀町富来地頭町

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