台湾レポート 教育編3 先生の話
- 8 時間前
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福智における教育からの学び、としてもう一つ付け加えたいのは、「先生たちのあり方」でした。
これは、私たちが、塾とか学びの場を設けようとする上で、とても参考になることだと思っています。
そして、もしかしたらこれこそ、日本の教育の場(学校だけではなくて地域社会とか企業組織とかも含めて)足りない(実現できてない)ことかもしれない、とも感じています。
まず、前述の男子校生の陳さんや女子高生の王さんの話を通じて感じたのは、先生たちは、生徒を「ルールだから」と理不尽に縛るのではなく、あるいはコントロールするのでもなく、彼・彼女らが自分で意思を貫くのであればそれを否定しない。
生徒を一人の自立した人間としてしっかりと認めている、ということでした。
また、何気なく話をしている先生と生徒を見ても、その間に信頼関係が成り立っていることは一目瞭然で、学生さんたちは先生を尊敬していると同時に、決して恐れてはいない、というのも伝わってきました。
これは、ピアスや指輪をつけて髪の毛を染めていて私服もおしゃれ(余談ですが)な王さん(前述)が、「閉鎖的」という質問に対して真っ先に「先生たちはとても知識が深く、知識という意味では全く閉鎖的ではない」と語ってくれたことからも感じられることで、私は彼女の話を聴きながら、こういうふうに尊敬できる大人たちを身近に持っていることが非常にうらやましい、と単純に思っていました。
もちろん、福智で教える先生たちは、優秀でそもそも深い知識をもっている人たちなのでしょう。
ただ、私が今回の滞在中により強く感じたのは、福智の先生は、その知識に甘んじることなく、生徒と同じ目線に立って、「自らも常に学び続けている」ということでした。
話が少しそれますが、福智の学校には、企業のCEOさんがよく見学に訪れることが多いそうです。自分の子どもを入学させようと考えているとか、人材として福智の卒業生に興味があるといった理由から。
そして今回の滞在最終日(とうもろこし祭り!)は、我々日本側の一行と台湾企業のCEOさんたちが同時に学校を見学・体験する日でした。

我々日本人はただの見学ですが、企業のCEOさんたちは、学校にとっていわばクライアント的存在。
彼らをもてなすというのは学校的には非常な大事なシーンなはずです。
学生たちの音楽でのもてなしとか、PPTによる学校説明もあったんですが、そんな大事な日の学校体験の一つとして行われたのが、美術の先生が最近新たに取り組んでいるという(たぶん趣味)、シンギングボウルでした。
「日々お疲れでしょうから少しリラックスしてください」という心意気にもほだされたし、我々は(きっとCEOも)間違いなく癒された。
んですが、よりによってこんな大事な日に、「本業じゃないけどCEOたちの疲労をとるためシンギングボウル披露したい」という美術の先生の提案を学校が認め、提供させてあげてる。
そして、それを実行している美術の先生がとても楽しそう。というのはなかなか感慨深いものがありました。
(ちなみに実際体験したシンギングボウルは趣味レベルとは到底言えず、多くの参加者が一瞬で眠りについていました。私が一番驚いたのは、先生が何度も何度も頭上を歩くんだけど、全く足音がしなかったこと)

もう一つ学校体験プログラムにあった「習字」の先生の話。これも印象的でした。
習字の先生、と紹介された先生は、超にこやかで穏やか。
もう楽しくって仕方ないって感じで、もちろん黒板に書く文字も教科書みたいな達筆です。

だけど、話を聞くとこの先生、もともとすごい字が下手だったらしい。(写真見たけど本当に下手だった)
それが今では、びっくりするくらい美しい字を書きます。

ご自身でも「一年でこんなに変わりますよお」と笑いながら比較写真をスライドに映して見せてくれたんですが、ここで大事なのは、「もともと字が上手いから、習字の先生になった」のではないということ。
もっというと、「練習して上手い字がかけるようになれたから、先生になれたこと」というところが大事なのでもなくて、「もともと字が下手だった人」が「練習して字が上手くなるという努力と成長の過程を経て」、「習字の先生として、今、習字を教えている」という点が、すべてだと思います。
彼であれば、字が上手く書けない生徒の気持ちにも理解できるだろうし、書けない理由もわかるし、字を書く、字を上手く描けるように練習するという行為を通じて何が得られるか、その過程の価値についても、説得力を持って語ることができるでしょう。
もともと字が上手な人が先生になっていたならばきっと知ることのない教えを、生徒たちに伝えることができるはずです。
