top of page
検索


なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(4)
公費解体の完了が近づくにつれ、文化財レスキューの現場活動は、一区切りを迎えようとしています。 これまで出会ったたくさんの「もの」と富来の文化、歴史から学んだことを次にいかにいかしていくか。Futoとして、どう活用していくか。 まだまだアイデア段階ではありますが、これからやっていきたいことは、見出しつつあります。 まず、歴史博物館の方が書いてくださっているように、今回レスキューした道具、民具、歴史文化などに関する聞き取り調査は、喫緊に行いたいところです。公的機関に委ねたい部分でもありますが、伝承できるみなさんがかなり高齢にもなっているので、あんまり時間に余裕がありません。 民間でできることから少しずつ、早々にはじめなくてはと思っています。 また、地頭町と領家町を歩けるまちとして再構築することをめざすのも、Futo的な大事なテーマに掲げます。その方法はまだ模索中ですが、できればまちなかに、小さなギャラリーでもよいので、今回集められた「もの」と、その「もの」を通じて地域のことを伝えるような場所をつくりたいと思っています。 そしてもう一つ。これはもう少し
11月16日


なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(3)
今回の災害を機に、「自分は、なぜここ(能登)で生きていくのだろうか?」 という問いは、被災した多くの人が抱いたものではないかと思います。 生まれ育った場所がなんとなく好き。自然が好き。 友達がいるから、祭りがあるから、ここが好き。 だけど、災害を機に家がなくなった、見慣れたまちなみも、通り慣れた道もなくなった。 人も減っていく、仕事もなくなった。またいつ災害が起こるかわからない。 閑散と寂れていくこの町に、「私は、一体なぜ住み続けるのだろう」と。 町外への避難生活をつづけるなかで、「なぜそこに戻らなくてはいけないのだろうか?」と問うた人もいるでしょう。 そして、現に、能登を離れた方も多くいらっしゃいます。 では、ここに残って住んでいる方は、というと、よく耳にするのは「この年齢になって、いまさらどこにいくことができる?」あるいは「家業があるから仕方ない」というような消極的選択と諦観の響きでした。 本人のなかでは何かしら理由があるのかもしれないけど、それを明確に言葉にできない。 あるいは、胸をはって言えるような理由が見つか
11月16日
bottom of page
