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なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(2)
今回、富来地域における文化財レスキューを通じて得たFuto的大発見の一つは、 「あ、富来にも、ちゃんと人々の手仕事、ものづくりの技術があったんだ」 ということでした。 具体的にいうと、竹細工、織物、能登建築などの大工技術といったものです。 竹細工、織物、大工・・・ ああ、はいはい、地方によくあるやつね〜、という感想をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。ズバリそうでしょう。 しかし、丸尾くん。一言わせてくれたまえ。 能登におけるものづくりというと、輪島塗(輪島)、珠洲焼(珠洲)、能登上布(中能登)が特出しているのはご存知の通り。 そして、ここに生まれ育ち、暮らしている身としても、能登のものづくり=特別な職人の特別なもの、という感じで、いわゆる手仕事みたいなものの片鱗は、ほぼ感じられずに生きてきました。 そのため、なんとなーく、能登の一部の特別な産地だけでものづくりが行われていて、あとはただただ貧しい農村漁村が広がっていたんじゃないか?富来なんて、北前船でいっとき栄えただけのミーハーでチャラついた商業地でしかなかったんじゃないか?という懸念があっ
11月16日


なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(1)
少し前、お世話になっている災害支援団体の方と、冒頭の問いについてお話をする機会がありました。 私自身、なんとなく感覚的に理解し行動していたことだけど、いざ説明しようとするとなかなかうまくまとめることができなくって、改めてそのわけを考えてみることにしました。 気楽に書き始めたものの、気づけば論文?というくらい長くなってしまいましたので、数回に区切ってお送りいたします。 また、文体がお堅いのですが、あしからず・・・。 文化財レスキュー、正確には文化財レスキュー活動の支援はFuto立ち上げ早々から行っていたもので、5つのプロジェクト内の位置づけとしては「きのものおき小屋」にあたるものです。 もちろん最初から、文化財をレスキューするぞ、とはじめたわけではなく、被災した蔵や納屋から災害ゴミ運搬のお手伝いをしようとしていた時、廃棄予定の「もの」のなかに古い道具や民具をお見かけし、「これは貴重だと思うから、捨てずに専門機関に連絡したほうがいい」と声かけしたところからはじまっています。 Futo「蔵から目覚めたもの」 当初、農具、漁具、民
11月16日
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