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台湾レポート 教育編4 日本の話
日本に戻り、私は、これからの活動について考えています。 いくら福智の教育が良いといっても、じゃあ日本の学生が台湾にいけばいいか、とか、福智の教育プログラムをそのまま能登に持ってきて学校作ろうとか、というとそういうことではありません。 私自身は、「能登」という土地に想い入れがあり、「能登に人が学び育つ場を」というこだわりは持っています。 その理由は、能登という土地が持つ自然環境、歴史、手仕事を含めた多様な文化、多様な生物、あるいはその背後にある霊性みたいなものも含め、学びの場としての魅力を認識しているからであり、能登地震という出来事が起こったというきっかけから一種の導きみたいなものを感じているから。 しかし、前述のように台湾のような学校教育を誘致すればいいということではないし、富来に民間学校を作りましょうということでもありません。 じゃあ、能登・富来らしい学びの機会・場・形とは? 手仕事の話は後日するとして、一つ、今回の旅を通じて見えてきたのは、あえて形のある「場」を設けなくても、今回のように、Futoが、能登・富来が、子どもたちあるいは大人も含め
4月7日


台湾レポート 教育編3 先生の話
福智の見学を通じて印象的だったもう一つのこと、として付け加えたいのは「先生たちのあり方」について。 これは、私たちが今後、塾とか学び育つ機会を設けようとするうえで、とても参考になると感じている部分。 そして、もしかしたらこの点こそ、日本の学びのシーン(学校だけではなく、地域社会とか企業組織とかも含めて)で足りない(実現できてない)ことかもしれない、とも感じています。 まず、前述の男子校生の陳さんや女子高生の王さんの話を通じて感じたのは、先生たちは、生徒を「ルールだから」と理不尽に縛るのではなく、あるいはコントロールするのでもなく、彼・彼女らが自分で意思を貫くのであればそれを否定しない。 生徒を一人の自立した人間としてしっかりと認めているんだな、ということでした。 福智の先生たちは、今回の見学を主体的に企画し滞在中も交代で同行してくれたんですが、何気なく話をしている先生と生徒を見ても、その間に信頼関係が成り立っていることは一目瞭然で、学生さんたちは先生を尊敬していると同時に、決して恐れてはいない、というのも伝わってきました。 これは、ピアスや指輪を
4月7日
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