2024年1月1日16時10分、震度7(M7.6)。
翌日の新聞で自らが「被災者」となったと知った時、強いショックを受けました。
避難所で身を寄せ合い、「怖かったね」「大変だったね」と言葉を交わすことが心の支えでした。
黒瓦がぶら下がり歪んだ家々、波打ちうねる道、人の声がきえた夜の町。帰るはずの部屋に貼られたブルーシートだけが生々しく光っている。思い描く町はもうない。自分の居場所は失われてしまった。そう感じたとき、涙がやっと流れました。
地震からひと月がたち、復旧、復興と叫ばれるようになりました。
日常とはなにか、これからとはなにか?ずっと自問し、心はいったり来たりを繰り返しています。
笑顔で「大丈夫」と答えるたび、心身がうなだれていきました。
でもそんなとき、ふと顔をあげると目に入ってきたのは、美しい自然の風景と人々の姿でした。
形あるものは壊れても、変わらないもの。
「おかえり」と言いあういつもの仲間、「みんな家族」と声をかけてくれるご近所さん、雪の降りしきるなか笑顔で水を提供してくれるボランティアの方、「なにかできないか」とメッセージをくれる遠くの友達。
枯れ枝をふくらませる確かな芽吹、口をつぐんでいた鳥たちが歌いだし、山と海の間をいつもの風がかけていく。
だんだんと、ここに暮らし、これからもこの場所がふるさとであることに変わりのない「被災者」であるわたしたちが立ち上がり、未来を選択し、動いていく。そのことこそ、能登のためにも、この地に思いを寄せてくれる人のためにも、大事な一歩になるのではなないかと感じるようになりました。
Futoは、「風戸」という古い集落の名前からインスピレーションを受けた名です。
能登は、三方を海に囲まれた半島です。山から海へ、海から山へ、時に心地よく、時に激しく風が吹きぬける美しい半島です。
わたしたちがいることで流れ開く、そんな風の戸がきっとある。そう信じて名付けました。
Futoはとても小さな集まりです。できることは限られているかもしれませんが、「目に浮かぶ大切な人を幸せに」をキーワードに、一人でも、共感してくれる人と手をつなぎ、活動をつづけていきます。
Futo 代表 鶴沢 木綿子